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ちょっと考えさせられる。

to 中国人all;
以下、めんどくさいので日本語で書くけど、中国語的な論理展開をするので諒とされたし。

>チベット独立は無理
これは同意。経済的に無理。そして、統治が50年近く続いてる時点で「いまさら」無理。
だが、現状に問題があることも認識してほしい。


...それは例えば以下の2点について

1.中国人が「○○してあげる」という名目で侵攻中の行為を、チベット人は望んでいるのか?
2.チベットの対中「歴史問題」に関して


【1について】
>主要因為在中國統治下、那里的人們可以生活得更加幸福。
>今日チベット的當務之急便是インフラストラクチャー整備。

視野を置き換えて以下の問題について考えてみてほしい。

――――――――――――――――――――――

<事実>
◆30~40年代、満洲(偽満)帝国内の中国人の生活水準とインフラは両方とも
 著しく向上した。現在の大連・瀋陽・長春・ハルピンの発展の基礎は日本の
 統治を抜きにしては考えられない。

◆19世紀後期以降、上海・香港・天津・青島の中国人の生活水準とインフラは
 両方とも著しく向上。欧米列強と日本の統治によって(以下略)。


<事実から導かれる結論>

  ※仮に第二次世界大戦が発生せず、
    中国全土がイギリス・アメリカ・・フランス・日本に占領統治されていた場合。

→(少なくとも40~80年代の)中国人の生活とインフラのレベルはもっと高くなった。

→国共内戦・大躍進・文化大革命・天安門事件などは発生せず、中国人民は
  中共と毛沢東の統治下よりもはるかに平和で安全に暮らすことができた。

→日本人と欧米人の手で中国共産党員と国民党員が国外に追放されるため、
  太子党や蒋家王朝みたいな特権階級を撲滅することができた。

→現在の中国人は誰もが英語や日本語を流暢に話せるようになるはずだった。

→日本人と欧米人が入植して商業・農業の主導権を握ることにより、
  中国の人口爆発は抑えられた。

→日本人と欧米人は中国のインフラ整備のための資本投下をどんどん行い、
  中国の財政を黒字化させた。

→中国の伝統文化は、日本人や欧米人にとって珍しく奇異なものだ。
  しかし、無知な中国人に与えておくとその価値がわからずに破壊してしまう。
  なので、列強の手で文化保護区や民俗文化村を作って保護し、
  日本人と欧米人がそれを見て楽しめるようにするのが正しい行動である。

→抗日蜂起や反帝蜂起をした連中は社会の治安を乱す暴徒である。
  日本と列強の武装警察を投入して、拷問して殺すのは当然だ。

――――――――――――――――――――――


...気分を悪くしたなら先に謝っておく。
だが、上記を読んで、中国人としてどう思う?

「中国人は中共に統治されて党奴として暮らすより、列強に支配してもらった方がいい」
と、罪悪感を感じずに言えるかい?


上記の文章の「中国」をチベットに置き換えて、
「日本と欧米列強」を中華人民共和国に置き換えれば、
それでチベットと中国の問題がちょっとわかる。

征服者の中国人による
インフラの整備や生活の向上を、チベット人は本当に望んでいるんだろうか?

偏った教育を受け、報道にも制限があり、ネットでも自由に情報にアクセスできない、という印象がある中国の人にもこれだけ柔軟な考え方ができる人がいるということには驚かされる。
もっとも、書き込んでいる人は留学生とかで日本国内にいるのかも知れないけれど。

同じページにもう一つ。

日本のみなさんへ;

チベットの独立は無理だ。
確かにチベットは元朝までは独立国だったけど、その後は長いこと中国に属してる。
中華人民共和国の成立後、
大部分のチベット人の生活レベルは低下はしておらず、むしろ向上した。

個人的にはチベットと沖縄のことは同種の問題に属するように思える。
中国の糞青のなかには沖縄独立を叫んでいる馬鹿もいるが、自分はそれに賛成しない。
日本の統治下で沖縄人の生活は向上したからだ。

台湾はもしかしたら既に「独立」しているのかもしれない。
だがチベットとウイグルは駄目だ。
中国の統治下で幸せに暮らした方がいい。

実はこちらの方が先に書かれていて、それを受けての最初の引用の意見なのだけれども...。
「チベット」と「沖縄」は同じだ、というのがチベット問題を論じる場合の中国側の姿勢を擁護する立場の人によくある意見らしい。
これはちょっと違和感を感じてしまう。それで少し調べてみた(ソースは全てWikipedhia)。

【琉球(沖縄)】
1429年 第一尚氏王統の尚巴志王の三山統一によって琉球王国が成立。
1462年 尚泰久王の重臣であった金丸(尚円王)が、尚徳王の薨去後、王位を継承し、第二尚氏王統が成立。
1571年 奄美諸島北部を攻略、このころ王国の版図は最大に。
1609年 薩摩藩の島津氏、琉球への侵攻を開始。1か月ほどの戦で尚寧王は和睦を申し入れて開城。奄美諸島は薩摩藩の直轄地に。
1871年 廃藩置県によって琉球は鹿児島県の管轄に。
1872年 琉球藩を設置、明治政府は琉球国王尚泰を琉球藩王に封じる。
1879年 明治政府は琉球処分により沖縄県を設置。初代沖縄県令として鍋島直彬が赴任。

【チベット(西蔵)】
633年 ソンツェン・ガンポ王はスピ族を平定し、都をラサに定め、吐蕃王朝を開く。
877年 吐蕃の叛乱勢力がロカのヤルルン渓谷を占領。吐蕃王朝は滅亡。
1240年 モンゴル帝国の第2代大ハーン、オゴデイの息子コデンはチベットを攻略。
1288年 モンゴル帝国の第5代大ハーン、クビライは宣政院を設立、チベットを支配する。
1354年 パクモドゥ派のチャンチュポ・ギェルチェンは反乱を起こし、中央チベット全域を支配。
1406年 明の永楽帝は中央チベットのネドン政権(5代目タクパ・ギェルツェン)を承認し、闡化王の称を与える。
1409年 明はチベットの知事を帝国の組織に編入する。
1642年 ホショード部のトゥルバイフ(グーシ・ハーン)は、「チベットの王」に即位、ダライラマ5世にチベットの中枢部を寄進、ダライ・ラマ政権が発足。
1717年 ジュンガルの侵攻を受けて、トゥルバイフの直系は絶える。
1723年 清朝の雍正帝が青海地方に出兵、、グシ・ハン一族を征服。チベットの西南部はガンデンポタンに委ね、東北部は中国本土に併合(雍正のチベット分割)。
1911年 辛亥革命により清朝倒れる。
1913年 ダライ・ラマ政権はモンゴルとの間で「チベット・モンゴル相互承認条約」を締結、ラサを占拠する清国軍を駆逐、実質的な独立状態に。
1940年 ダライ・ラマ14世の即位式典に列席した中国国民党の使節団は「中華民国蒙蔵委員会駐蔵辧事処」を名乗ってラサに居座る。
1950年 中国共産党は人民解放軍によりチベットを軍事占領、チベットの主権を奪う。
1956年 チベット動乱の勃発。
1959年 ダライ・ラマ14世はラサを脱出。国境を越える直前「チベット臨時政府」の樹立を宣言してインドへ亡命。
1965年 西蔵自治区が成立。

まとめてみる。

琉球・チベット比較
  琉球 チベット
独立国だったのは 1609年まで 1723年まで
属国だったのは 1609-1871年 1723-1965年
独立を失ったのは 1871年 1965年

独立国であるのはもちろん、属国であっても国は国としての形を保っている。ただ政治的に自由がないだけで。しかし藩や県と言おうと自治区と言おうと、相手国の行政組織に編入されてしまえば、国としての体裁は取れなくなってしまう。
琉球とチベットの差は100年程度である(属国になった年で114年、独立を失った年で94年)。長い歴史の中で見れば、そんな大層な差ではないようにも見える。

例えば、今が1609年なら、琉球は国際的に認められた独立国であり続けられそうな気もする(もちろん国際的な力関係の中で独立は脅かされるかもしれないが)。
琉球がその政府組織を失ったのは1871年、明治維新によって日本にも曲がりなりにも近代国家が成立したのが1868年だから、その直後ということになる。

そこで、時代背景を見てみよう。
1870年代、世界はまだ帝国主義の世の中。1870年7月に始まる普仏戦争まではフランスにもナポレオン3世がいたし、戦後の1871年には実質的に分裂状態だったドイツが統一され、ドイツ帝国が歴史上に登場している。ちなみにイタリア王国の成立はその10年前の1861年。
このころ262年の間日本の属国的な立場にあった琉球王国がその命脈を途絶えさせているわけだ。
これは国際的にはドイツに吸収されたバイエルン王国や、イタリアに吸収された両シチリア王国と同じように見えるかもしれない。
やがて1914年から第一次世界大戦が勃発する。この戦争はヨーロッパ諸国の君主制を消滅させた。ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン・トルコ帝国、そしてロシア帝国が戦後にはなくなっていた。
1919年に第一次世界大戦の講和条約として締結されたヴェルサイユ条約では、アメリカ合衆国のウィルソン大統領の提唱した「民族自決」が基本原則とされ、ポーランドが復活、チェコスロバキアとユーゴスラビアが新たに誕生した。
1939年には第二次世界大戦が勃発。ポーランドやチェコスロバキア、ユーゴスラビアをはじめ、オランダやベルギー、ルクセンブルクはおろかノルウェーやフランスまで一時はドイツの占領下となったが、戦後にはそれらの国々の独立は再び回復された。
さらに1945年からはヨーロッパ諸国の植民地であった地域の独立が相次ぐ。1945年にはヴェトナムが、1946年にはシリア、ヨルダン、フィリピンが独立を宣言、ヴェトナムなどすぐに認められたわけではない(ヴェトナム戦争を経て1976年南北統一)が、独立国は増えていった。
1960年は「アフリカの年」とも呼ばれ、この年のだけでアフリカでは17カ国が独立、12月には国連総会決議において植民地独立の権利は一般国際法上の権利として認められるにいたった。

チベットから独自の政府組織が失われたのがダライ・ラマ14世が亡命した1959年、行政組織として法的にも中華人民共和国内に組み込まれたのが1965年、国際的にはこうした背景を持つ時代であるというわけだ。

だからこそ国際的にはチベットと琉球は同じようには扱われないのだ。
時代の後先という面はある。中国に近代国家が成立した(つまり封建体制が倒れた)のは辛亥革命の1911年(もっともすぐに袁世凱が皇帝になったが)。1928年には北伐が完了して一応の全国統一を果たしている。
このあとイギリス、アメリカ、そして特に日本が中国に手や口を出さなければ(そして国共内戦がなければ)、チベットを含めた清朝期の領土回復はもっと早く果たせたと言われれば確かにそうだ。しかし、国際的な、つまり他国からの見え方というのはこんなものだ。

ここで表題の問いに答えよう。国際的にはおそらく、1919年におおよその近代国家の領域は定められている。アジアやアフリカなどは後回しではあるが。
1945年にはアジアやアフリカについてもほぼ「こうあるべき」といった空気ができてきている。
そして1960年代にはそれがほとんど実現された。
そういう意味で中国のチベット征服は遅すぎたのだ。国際的に認められるという点から言えば。

なお、チベット問題については、「完全な独立の回復」というのと「人権問題の解決」とはまた別の問題である。
例えば1988年に亡命中のダライ・ラマ14世が発表したストラスブール提案では、チベットは「チベット3州を統合し、真の自治を享受するが、チベットの防衛、外交については引き続き中国が担当することができる」と中華人民共和国に対して提案している。必ずしも「独立ありき」ではないのだ。
チベットにダライ・ラマ14世が復帰し、ガンデンポタン政府による自治が回復する。それによって中国による人権侵害が終息し、チベットの人たちが将来的にもガンデンポタン政府を支持するかどうかはともかく、自由意思によってそれが選択できるようになるのが先決だろう。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

Jリーグクラブ所在地の旧地名について

大一番を控えていても暇だといろいろなことを考えるもので。

市町村合併などで、由緒ある地名が消えてしまうと問題視されています。
Jリーグの理念は「地域密着」です。そこでちょっとそれぞれのクラブの施設などの所在地の地名を調べてみました。

鹿島アントラーズ
クラブ事務所
鹿嶋市粟生東山→常陸国鹿島郡粟生村

練習グラウンド:鹿島アントラーズ・クラブハウスグラウンド
鹿嶋市粟生東山→常陸国鹿島郡粟生村

カシマサッカースタジアム
鹿嶋市神向寺→常陸国鹿島郡神向寺村

ユース・Jrユース練習場:住友金属総合グラウンド?
鹿島市光→常陸国鹿島郡国末村

Jrユース練習場(ノルテ):日立研究所大みかグラウンド
日立市大みか町→常陸国久慈郡久慈村
さすがに全て鹿島郡内です。というか、鹿嶋市内だから当然ですか。
ユースの練習場は基本的にはクラブハウスグラウンドなのでしょうか?とりあえず住金グラウンドにしておきましたが。この住金グラウンド、住友金属の工場の中にありまして、工場自体が国末村、泉川村、粟生村の領域にまたがって建設されているよう(周辺の地名を見る限り)なので、どの村になるのかわかりません。一応中央にあるらしい国末村にしておきましたが。
ちなみに国末村、泉川村、粟生村などが合併して後に高松村となります。ちょうどアントラーズのクラブハウスのはす向かいに高松緑地公園というのがありますが、これは旧村名から来ているんですかね?最初見たときは高松宮とかの関係かと思いましたが。
Jrユースのノルテの所在地ですが、この大みかグラウンドで良いんですかね?
水戸ホーリーホック
クラブ事務所
水戸市梅香→常陸国東茨城郡水戸上町

練習グラウンド:水戸市立サッカー・ラグビー場(ツイン・フィールド)ほか
水戸市河和田町→常陸国東茨城郡河和田村

笠松運動公園
那珂郡那珂町大字向山→常陸国那珂郡向山村

水戸市立競技場
水戸市小吹町→常陸国東茨城郡小吹村

ユース・Jrユース練習場:東石川グランド他
ひたちなか市東石川→常陸国那珂郡東石川村
さすがに水戸徳川藩のお膝元、恐らく今回のクラブ事務所の中では一番格式の高い土地じゃないでしょうか。クラブ事務所の水戸市梅香ですが、ここは水戸城の三の丸のすぐ外にあたり、旗本の屋敷が並んでいた土地で、幕末の重要人物の一人、藤田東湖が生を受けた地でもあります。ただし、ここが水戸上町なのかどうかはよくわかりませんでした。
練習場にしても試合会場にしても今ひとつココと決めきれていないようですが、ツインフィールドなんかは状態のいい天然芝が2面ありましたから、こういうところが使えると良さそうですがね。
ユースの練習場については、スケジュールを見て比較的多く使われているところを選んでみました。
浦和レッズ
クラブ事務所
さいたま市浦和区仲町→武蔵国北足立郡浦和宿

練習グラウンド:大原サッカー場
さいたま市浦和区大原→武蔵国北足立郡上木崎村?

浦和駒場スタジアム
さいたま市浦和区駒場→武蔵国北足立郡駒場村

埼玉スタジアム2002
さいたま市緑区中野田→武蔵国北足立郡中野田村

ユース・Jrユース練習場:与野八王子グラウンド
さいたま市中央区八王子→武蔵国北足立郡八王子村

レッズランド(予定)
さいたま市緑区上大久保→武蔵国北足立郡上大久保村
レッズですが、事務所は浦和宿のまさに中にあります。目の前に旧中山道が走っているのでわかりやすいですね。埼スタに事務所を移転するような話がありますが、実はこの埼スタの中野田村も宿場ではない(美園より少し南の大門が宿場だった)ものの日光・奥州街道に面していました。
今の国道122号がその名残ですね。
大原については、よくわかりませんでした。見沼の干拓地であるのは間違いないですが、とりあえず隣接する上木崎村としてあります。ちなみに、後に上木崎から下木崎、北袋、瀬ヶ崎、駒場、本太、針ヶ谷といったあたりが合併して木崎村となります(北袋は後に大宮町へ合併)。
大原も駒場もかつては同じ村内だったんですね。
大宮アルディージャ
クラブ事務所
さいたま市大宮区高鼻町→武蔵国北足立郡高鼻村

練習グラウンド:NTT志木グラウンド
志木市上宗岡→武蔵国入間郡宗岡村

練習グラウンド:秋葉の森総合公園サッカー場
さいたま市西区中釘→武蔵国北足立郡中釘村

大宮公園サッカー場
さいたま市大宮区高鼻町→武蔵国北足立郡高鼻村

ユース・Jrユース練習場:NTT志木グラウンド
志木市上宗岡→武蔵国入間郡宗岡村
アルディージャは中心が大宮宿ではなく、高鼻町なんですね。これは氷川神社自体が街道から少し離れていたことによるのでしょう。
大宮宿自体は隣接する浦和宿、上尾宿よりやや大きかったそうですが。
練習グラウンドは荒川の対岸なので、入間郡になります。後にこの宗岡村は志木町、内間木村、水谷村と合併して北足立郡志紀町となりますが、4年でまた分裂し、志木町と合併して志木市になったりしています。
アルディージャは待望の大宮市内の練習グラウンドができたんですね。まだNTT志木グラウンドの方を使う機会が多いようですけれど。
ジェフユナイテッド市原
クラブ事務所
市原市姉崎海岸→上総国市原郡姉ヶ崎村

練習グラウンド:姉崎サッカー場
市原市姉崎海岸→上総国市原郡姉ヶ崎村

市原臨海競技場
市原市岩崎→上総国市原郡岩崎村

蘇我スタジアム(仮称)
千葉市中央区川崎町→下総国千葉郡今井村の沖(埋立地)

ユース練習場:姉崎サッカー場
市原市姉崎海岸→上総国市原郡姉ヶ崎村

Jrユース練習場:辰巳台グラウンド
市原市辰巳台東→上総国市原郡八幡宿?

Jrユース練習場:舞浜グラウンド
浦安市千鳥→下総国東葛飾郡堀江村の沖(埋立地)
レイソルが下総のチームならば、ジェフは上総のチームときれいに区分けされそうな感じもありますが、ジェフが本拠地を置く千葉県臨海部には、上を見てもわかる通り、埋立地とは切っても切れない関係にあります。
海なのに海じゃない、このコンビナートの存在が、臨海部はもとより、千葉県全体にある種のイメージを醸し出しているといっても良いかも知れません。
Jrユースの辰巳台グラウンドがある市原市辰巳台は、八幡の埋立地に誘致する工場の従業員を住まわせるために後背地の山中に造成した住宅地だったそうです。というわけで、地名に関してはよくわかりません。
柏レイソル
クラブ事務所
柏市日立台→下総国東葛飾郡柏村

練習グラウンド:日立柏総合グラウンド
柏市日立台→下総国東葛飾郡柏村

練習グラウンド:あけぼの山農業公園
柏市布施→下総国南相馬郡布施村

日立柏サッカー場
柏市日立台→下総国東葛飾郡柏村

柏の葉公園総合競技場
柏市柏の葉→下総国東葛飾郡十余二村

ユース・Jrユース練習場:日立柏総合グラウンド
柏市日立台→下総国東葛飾郡柏村
レイソルの本拠地である柏市は東葛飾郡と南相馬郡にまたがっています。旧村名でいえば、南部の土村、中央の千代田村(→柏町)、北西の田中村が東葛飾郡、北東の富勢村が南相馬郡になります。これらの1町3村が合併して東葛市、ついで柏市となるわけです。
で、クラブの事務所であり、ホームスタジアムであり、ユースも主に練習している?日立台なのですが、これは恐らく日立が緑ヶ丘と呼ばれたこの地に工場を建設してから日立台と呼ばれるようになった土地だと思うのですが、千代田(村)、名戸ヶ谷(村)という地名に囲まれているので、どこの村だったかよくわかりません。とりあえずは千代田村の中心?であった柏村としておきましたが。
FC東京
クラブ事務所
江東区猿江→武蔵国南葛飾郡猿江村

練習グラウンド:小平グランド
小平市大沼町→武蔵国北多摩郡大沼新田

味の素スタジアム
調布市西町→武蔵国北多摩郡飛田給村

ユース、Jrユース練習場(深川):深川グラウンド
江東区猿江→武蔵国南葛飾郡猿江村

Jrユース練習場(むさし):東京学芸大学構内グラウンド
小金井市貫井北町→武蔵国北多摩郡貫井村
FC東京はクラブ事務所、ユースの練習所を江東区に置いています(ユースはそろそろ小平に移るんでしたっけ?)。元々はこちらが本拠だったためです。
こちらは南葛飾郡となり、レイソルが所在する東葛飾郡とは元々つながりがありました。千葉の東葛飾郡、東京の南葛飾郡、それに埼玉の北葛飾郡、茨城の西葛飾郡はかつては下総国の葛飾郡という一つの大きな郡だったのです。FC東京とレイソルがかつて対戦の際に「金町ダービー」などと言ってじゃれていた?のはそうした雰囲気の似通った土地柄も影響していたのかも知れません。
で、味スタのある場所ですが、飛田給という地名が残っているのは甲州街道の南までです。
では西町というのはというと、この調布飛行場を建設する際に、飛田給村などの土地を買収したそうですから、返還された後に別の名前がついたのであろうと考えて飛田給としました。
東京ヴェルディ1969
クラブ事務所
稲城市矢野口→武蔵国南多摩郡矢野口村

練習グラウンド:ヴェルディグラウンド
稲城市矢野口→武蔵国南多摩郡矢野口村

味の素スタジアム
調布市西町→武蔵国北多摩郡飛田給村

ユース・Jrユース練習場:ヴェルディグラウンド
稲城市矢野口→武蔵国南多摩郡矢野口村

支部VERDY S.S 小山(Jrユース?):白鴎大学サッカー場or思川緑地グラウンド
小山市大行寺→下野国下都賀郡大行寺村

支部VERDY S.S レスチ(Jrユース):葛飾区総合スポーツセンター陸上競技場ほか
葛飾区奥戸→武蔵国南葛飾郡奥戸村

支部VERDY S.S 調布(Jrユース):八千代銀行グランド
調布市染地→武蔵国北多摩郡国領宿

支部VERDY S.S 相模原(ユース・Jrユース):相模原北公園グラウンド
相模原市下九沢→相模国高座郡下九沢
矢野口の小高い丘の上にホームスタジアム以外の全ての施設が集中しています。あのよみうりランドの一角にでも日立台や大宮サッカー場くらいのスタジアムがひとつあれば、ヴェルディの歴史も変わったんじゃないですかね。
まぁ、それでは狙っていた全国区ではなくて、よみうりランドを中心とした東京都南部、川崎市北部のローカルなクラブになっちゃうかもしれませんけど。
なお、このよみうりランドの丘の上にはかつて小沢城という城があり、矢野口の渡しという多摩川の渡河点を守っていたそうです。
一応数多くの支部のうち、関東地方の4つをあげてみました。この支部っていうのは他のクラブで複数Jrユースを持っていたりするのより独立色が強くて、中にはユースを持っているところもあるくらいです。
他にヴェルディ岩手・花巻、ヴェルディ岩手・リアス、スクールのみのヴェルディ新宿、2つの準支部(Wings習志野とヴェルディVERDURE:静岡県駿東郡清水町)などがあります。
川崎フロンターレ
クラブ事務所
川崎市高津区末長→武蔵国橘樹郡末長村

練習グラウンド:麻生グラウンド
川崎市麻生区片平字金井原→武蔵国都筑郡片平村

等々力陸上競技場
川崎市中原区等々力→武蔵国荏原郡等々力村

ユース練習場:下野毛グラウンド
川崎市高津区下野毛→武蔵国荏原郡下野毛村
フロンターレの関連施設は橘樹郡、都筑郡、荏原郡にまたがって広がっていますが、全て武蔵国内にあります。
その中でもホームスタジアムの等々力とユースの練習グラウンドのある下野毛は多摩川を挟んで対岸の等々力村、下野毛村の飛び地であったそうです。
つまり、多摩川が洪水で川筋が変わったときに、対岸に取り残されてしまった土地だということで、ちょっと変わっていたら、東京都の世田谷区だったんですね。
横浜F・マリノス
クラブ事務所
横浜市神奈川区新子安→武蔵国橘樹郡子安村

練習グラウンド:戸塚トレーニングセンター
戸塚区品濃町→相模国鎌倉郡品濃村

横浜国際競技場
港北区小机町→武蔵国橘樹郡小机村

ユース、Jrユース練習場:マリノス新子安グラウンド
横浜市神奈川区新子安→武蔵国橘樹郡子安村

Jrユース練習場(追浜):マリノス追浜グラウンド
横須賀市夏島町→相模国三浦郡浦郷村沖の無人島(夏島)と周辺(埋立地)
マリノスの事務所は横浜駅からだと北東になる新子安にあります。ここは港も近く、横浜らしい土地ですね。東海道にも沿っています。
ただし、大昔にはホームスタジアムのある小机の方が栄えていたでしょう。こちらには小机城というこのあたりでは大きな城がありました(徳川家康の江戸入府の頃取り壊し)。
東海道を上っていくと、国境を越えてすぐに練習グランドのある品濃村に差し掛かります。
Jrユースの練習場のある横須賀市夏島町はかつて陸軍の砲台を作る予定だった無人島の周りを埋め立てて地続きにしたところだそうです。地名の追浜は、その頃の陸地側の砂浜で、源範頼が敵に追われて逃げる際に上陸した浜だったので、追浜と名がついたとか。
ちなみにかつての横浜フリューゲルスユースの練習場で、しばらくマリノスのJrユースもあった横浜市神奈川区菅田町は武蔵国橘樹郡菅田村になります。
横浜FC
クラブ事務所
横浜市港北区日吉本町→武蔵国橘樹郡日吉村

練習グラウンド:ミズノフットサルプラザ日吉ほか
横浜市港北区日吉本町→武蔵国橘樹郡日吉村

三ツ沢公園球技場
横浜市神奈川区三ツ沢西町→武蔵国橘樹郡青木町

ユース練習場:ミズノフットサルプラザ日吉ほか
横浜市港北区日吉本町→武蔵国橘樹郡日吉村
横浜FCは事務所がミズノフットサルプラザ日吉の敷地内にあって、練習場の案内でもここを誇らしげに一番最初に紹介していますから、このようにしてみました。実際にはあまり使っていないようですが。
ちなみに練習スケジュールを見ると多く使っている長浜公園のある横浜市金沢区長浜は、武蔵国久良岐郡富岡村の沖(埋立地)になります。
湘南ベルマーレ
クラブ事務所
平塚市大神→相模国大住郡大神村

練習グラウンド:大神グラウンド
平塚市大神→相模国大住郡大神村

平塚市陸上競技場
平塚市大原→相模国大住郡平塚宿

ユース、Jrユース練習場:大神グラウンド?
平塚市大神→相模国大住郡大神村

Jrユース練習場(小田原・オエステ):二宮町民運動場
中郡二宮町山西→相模国淘綾郡山西村
そして相模国に本拠を置いている唯一のクラブ、ベルマーレの登場です。
平塚市自体は東海道の宿場町で、恐らくホームグラウンドの平塚競技場は宿場の近辺に含まれると思うんですが、確証はありません。
会社の事務所と練習グラウンドのある大神は新幹線からちょうど見えると思うんですが、意外と遠いんですね。
あと、ユースの練習場も大神で良いんですかね?ちょっとわからなかったんですけど。

さて、現在各地で高校選手権の都道府県予選が行われています。
ユースの場合はJユースカップなど、都道府県別ではない予選の形式を取ることが多い(夏の全日本クラブユース選手権も最近は関東大会からスタート)のでアレですが、これを旧国別に争ったら…?

まず常陸国はアントラーズとホーリーホックの戦い。これは今と一緒ですね。
下総国はレイソルで、上総国はジェフ、きれいに分かれます。
武蔵国は大変です。レッズ、アルディージャ、FC東京にヴェルディ、フロンターレ、マリノス、横浜FCが席を争います。3~4枠くらいは取ってもらわないとダメかも。
相模国はベルマーレの独占です。いや、ヴェルディ相模原との一騎打ちか。

まぁこんな感じで、地名のうち字名なんかからは昔の村名を追えたりできますが、いくつかはそれも変わってしまっていたりします。
地名にはそれなりに歴史とついた由来があるわけですから、○○ヶ丘みたいな名前ばっかりじゃなくて、そういう歴史も大事にできるといいですね。

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