2009年2月アーカイブ

ちょっと考えさせられる。

to 中国人all;
以下、めんどくさいので日本語で書くけど、中国語的な論理展開をするので諒とされたし。

>チベット独立は無理
これは同意。経済的に無理。そして、統治が50年近く続いてる時点で「いまさら」無理。
だが、現状に問題があることも認識してほしい。


...それは例えば以下の2点について

1.中国人が「○○してあげる」という名目で侵攻中の行為を、チベット人は望んでいるのか?
2.チベットの対中「歴史問題」に関して


【1について】
>主要因為在中國統治下、那里的人們可以生活得更加幸福。
>今日チベット的當務之急便是インフラストラクチャー整備。

視野を置き換えて以下の問題について考えてみてほしい。

――――――――――――――――――――――

<事実>
◆30~40年代、満洲(偽満)帝国内の中国人の生活水準とインフラは両方とも
 著しく向上した。現在の大連・瀋陽・長春・ハルピンの発展の基礎は日本の
 統治を抜きにしては考えられない。

◆19世紀後期以降、上海・香港・天津・青島の中国人の生活水準とインフラは
 両方とも著しく向上。欧米列強と日本の統治によって(以下略)。


<事実から導かれる結論>

  ※仮に第二次世界大戦が発生せず、
    中国全土がイギリス・アメリカ・・フランス・日本に占領統治されていた場合。

→(少なくとも40~80年代の)中国人の生活とインフラのレベルはもっと高くなった。

→国共内戦・大躍進・文化大革命・天安門事件などは発生せず、中国人民は
  中共と毛沢東の統治下よりもはるかに平和で安全に暮らすことができた。

→日本人と欧米人の手で中国共産党員と国民党員が国外に追放されるため、
  太子党や蒋家王朝みたいな特権階級を撲滅することができた。

→現在の中国人は誰もが英語や日本語を流暢に話せるようになるはずだった。

→日本人と欧米人が入植して商業・農業の主導権を握ることにより、
  中国の人口爆発は抑えられた。

→日本人と欧米人は中国のインフラ整備のための資本投下をどんどん行い、
  中国の財政を黒字化させた。

→中国の伝統文化は、日本人や欧米人にとって珍しく奇異なものだ。
  しかし、無知な中国人に与えておくとその価値がわからずに破壊してしまう。
  なので、列強の手で文化保護区や民俗文化村を作って保護し、
  日本人と欧米人がそれを見て楽しめるようにするのが正しい行動である。

→抗日蜂起や反帝蜂起をした連中は社会の治安を乱す暴徒である。
  日本と列強の武装警察を投入して、拷問して殺すのは当然だ。

――――――――――――――――――――――


...気分を悪くしたなら先に謝っておく。
だが、上記を読んで、中国人としてどう思う?

「中国人は中共に統治されて党奴として暮らすより、列強に支配してもらった方がいい」
と、罪悪感を感じずに言えるかい?


上記の文章の「中国」をチベットに置き換えて、
「日本と欧米列強」を中華人民共和国に置き換えれば、
それでチベットと中国の問題がちょっとわかる。

征服者の中国人による
インフラの整備や生活の向上を、チベット人は本当に望んでいるんだろうか?

偏った教育を受け、報道にも制限があり、ネットでも自由に情報にアクセスできない、という印象がある中国の人にもこれだけ柔軟な考え方ができる人がいるということには驚かされる。
もっとも、書き込んでいる人は留学生とかで日本国内にいるのかも知れないけれど。

同じページにもう一つ。

日本のみなさんへ;

チベットの独立は無理だ。
確かにチベットは元朝までは独立国だったけど、その後は長いこと中国に属してる。
中華人民共和国の成立後、
大部分のチベット人の生活レベルは低下はしておらず、むしろ向上した。

個人的にはチベットと沖縄のことは同種の問題に属するように思える。
中国の糞青のなかには沖縄独立を叫んでいる馬鹿もいるが、自分はそれに賛成しない。
日本の統治下で沖縄人の生活は向上したからだ。

台湾はもしかしたら既に「独立」しているのかもしれない。
だがチベットとウイグルは駄目だ。
中国の統治下で幸せに暮らした方がいい。

実はこちらの方が先に書かれていて、それを受けての最初の引用の意見なのだけれども...。
「チベット」と「沖縄」は同じだ、というのがチベット問題を論じる場合の中国側の姿勢を擁護する立場の人によくある意見らしい。
これはちょっと違和感を感じてしまう。それで少し調べてみた(ソースは全てWikipedhia)。

【琉球(沖縄)】
1429年 第一尚氏王統の尚巴志王の三山統一によって琉球王国が成立。
1462年 尚泰久王の重臣であった金丸(尚円王)が、尚徳王の薨去後、王位を継承し、第二尚氏王統が成立。
1571年 奄美諸島北部を攻略、このころ王国の版図は最大に。
1609年 薩摩藩の島津氏、琉球への侵攻を開始。1か月ほどの戦で尚寧王は和睦を申し入れて開城。奄美諸島は薩摩藩の直轄地に。
1871年 廃藩置県によって琉球は鹿児島県の管轄に。
1872年 琉球藩を設置、明治政府は琉球国王尚泰を琉球藩王に封じる。
1879年 明治政府は琉球処分により沖縄県を設置。初代沖縄県令として鍋島直彬が赴任。

【チベット(西蔵)】
633年 ソンツェン・ガンポ王はスピ族を平定し、都をラサに定め、吐蕃王朝を開く。
877年 吐蕃の叛乱勢力がロカのヤルルン渓谷を占領。吐蕃王朝は滅亡。
1240年 モンゴル帝国の第2代大ハーン、オゴデイの息子コデンはチベットを攻略。
1288年 モンゴル帝国の第5代大ハーン、クビライは宣政院を設立、チベットを支配する。
1354年 パクモドゥ派のチャンチュポ・ギェルチェンは反乱を起こし、中央チベット全域を支配。
1406年 明の永楽帝は中央チベットのネドン政権(5代目タクパ・ギェルツェン)を承認し、闡化王の称を与える。
1409年 明はチベットの知事を帝国の組織に編入する。
1642年 ホショード部のトゥルバイフ(グーシ・ハーン)は、「チベットの王」に即位、ダライラマ5世にチベットの中枢部を寄進、ダライ・ラマ政権が発足。
1717年 ジュンガルの侵攻を受けて、トゥルバイフの直系は絶える。
1723年 清朝の雍正帝が青海地方に出兵、、グシ・ハン一族を征服。チベットの西南部はガンデンポタンに委ね、東北部は中国本土に併合(雍正のチベット分割)。
1911年 辛亥革命により清朝倒れる。
1913年 ダライ・ラマ政権はモンゴルとの間で「チベット・モンゴル相互承認条約」を締結、ラサを占拠する清国軍を駆逐、実質的な独立状態に。
1940年 ダライ・ラマ14世の即位式典に列席した中国国民党の使節団は「中華民国蒙蔵委員会駐蔵辧事処」を名乗ってラサに居座る。
1950年 中国共産党は人民解放軍によりチベットを軍事占領、チベットの主権を奪う。
1956年 チベット動乱の勃発。
1959年 ダライ・ラマ14世はラサを脱出。国境を越える直前「チベット臨時政府」の樹立を宣言してインドへ亡命。
1965年 西蔵自治区が成立。

まとめてみる。

琉球・チベット比較
  琉球 チベット
独立国だったのは 1609年まで 1723年まで
属国だったのは 1609-1871年 1723-1965年
独立を失ったのは 1871年 1965年

独立国であるのはもちろん、属国であっても国は国としての形を保っている。ただ政治的に自由がないだけで。しかし藩や県と言おうと自治区と言おうと、相手国の行政組織に編入されてしまえば、国としての体裁は取れなくなってしまう。
琉球とチベットの差は100年程度である(属国になった年で114年、独立を失った年で94年)。長い歴史の中で見れば、そんな大層な差ではないようにも見える。

例えば、今が1609年なら、琉球は国際的に認められた独立国であり続けられそうな気もする(もちろん国際的な力関係の中で独立は脅かされるかもしれないが)。
琉球がその政府組織を失ったのは1871年、明治維新によって日本にも曲がりなりにも近代国家が成立したのが1868年だから、その直後ということになる。

そこで、時代背景を見てみよう。
1870年代、世界はまだ帝国主義の世の中。1870年7月に始まる普仏戦争まではフランスにもナポレオン3世がいたし、戦後の1871年には実質的に分裂状態だったドイツが統一され、ドイツ帝国が歴史上に登場している。ちなみにイタリア王国の成立はその10年前の1861年。
このころ262年の間日本の属国的な立場にあった琉球王国がその命脈を途絶えさせているわけだ。
これは国際的にはドイツに吸収されたバイエルン王国や、イタリアに吸収された両シチリア王国と同じように見えるかもしれない。
やがて1914年から第一次世界大戦が勃発する。この戦争はヨーロッパ諸国の君主制を消滅させた。ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン・トルコ帝国、そしてロシア帝国が戦後にはなくなっていた。
1919年に第一次世界大戦の講和条約として締結されたヴェルサイユ条約では、アメリカ合衆国のウィルソン大統領の提唱した「民族自決」が基本原則とされ、ポーランドが復活、チェコスロバキアとユーゴスラビアが新たに誕生した。
1939年には第二次世界大戦が勃発。ポーランドやチェコスロバキア、ユーゴスラビアをはじめ、オランダやベルギー、ルクセンブルクはおろかノルウェーやフランスまで一時はドイツの占領下となったが、戦後にはそれらの国々の独立は再び回復された。
さらに1945年からはヨーロッパ諸国の植民地であった地域の独立が相次ぐ。1945年にはヴェトナムが、1946年にはシリア、ヨルダン、フィリピンが独立を宣言、ヴェトナムなどすぐに認められたわけではない(ヴェトナム戦争を経て1976年南北統一)が、独立国は増えていった。
1960年は「アフリカの年」とも呼ばれ、この年のだけでアフリカでは17カ国が独立、12月には国連総会決議において植民地独立の権利は一般国際法上の権利として認められるにいたった。

チベットから独自の政府組織が失われたのがダライ・ラマ14世が亡命した1959年、行政組織として法的にも中華人民共和国内に組み込まれたのが1965年、国際的にはこうした背景を持つ時代であるというわけだ。

だからこそ国際的にはチベットと琉球は同じようには扱われないのだ。
時代の後先という面はある。中国に近代国家が成立した(つまり封建体制が倒れた)のは辛亥革命の1911年(もっともすぐに袁世凱が皇帝になったが)。1928年には北伐が完了して一応の全国統一を果たしている。
このあとイギリス、アメリカ、そして特に日本が中国に手や口を出さなければ(そして国共内戦がなければ)、チベットを含めた清朝期の領土回復はもっと早く果たせたと言われれば確かにそうだ。しかし、国際的な、つまり他国からの見え方というのはこんなものだ。

ここで表題の問いに答えよう。国際的にはおそらく、1919年におおよその近代国家の領域は定められている。アジアやアフリカなどは後回しではあるが。
1945年にはアジアやアフリカについてもほぼ「こうあるべき」といった空気ができてきている。
そして1960年代にはそれがほとんど実現された。
そういう意味で中国のチベット征服は遅すぎたのだ。国際的に認められるという点から言えば。

なお、チベット問題については、「完全な独立の回復」というのと「人権問題の解決」とはまた別の問題である。
例えば1988年に亡命中のダライ・ラマ14世が発表したストラスブール提案では、チベットは「チベット3州を統合し、真の自治を享受するが、チベットの防衛、外交については引き続き中国が担当することができる」と中華人民共和国に対して提案している。必ずしも「独立ありき」ではないのだ。
チベットにダライ・ラマ14世が復帰し、ガンデンポタン政府による自治が回復する。それによって中国による人権侵害が終息し、チベットの人たちが将来的にもガンデンポタン政府を支持するかどうかはともかく、自由意思によってそれが選択できるようになるのが先決だろう。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

蔚山現代戦の結果を追加。『BEST5』を更新。

詳細はシーズン前出場記録を参照のこと。

前節まで出場試合、出場時間、得点の3部門でトップだったエジミウソンが出場時間で高原に首位を譲った。一方で、1得点にかかった時間では達也が90分出場して無得点だったのでエジミウソンが首位に。
この時点でも原口が出場試合数、得点数で2位、出場時間でも3位の位置におり、また林も出場時間、得点でランク内に残っていることは注目。

昨日、某K氏と飲む機会があった。K氏はレッズサポーター。その時の話。
以下、「く」=くらげ=著者

く:現時点でのレッズについてはどう評価します?

K氏:今はまだシーズン前ですからね。この時期にネガティブなことは考えないですよ。今は昇格したばかりのモンテディオ山形だって、自由に優勝すると思っててもいいですよっていう時期だしね(笑)。

く:ところで、去年は「浦和のサッカー」を確立しろとか、そういう意見が多かったけど、「浦和のサッカー」って一体何でしょうね?

K氏:何でしょうね?例えば、必ずしも短いパスをつなぐサッカーではなくて、堅守速攻だってサッカーのスタイルの一つだし、レッズは今までずっとそうして来ましたよね。ただ、最近埼玉サッカー界の名士的な方々と話す機会があったんですけど、そういう人たちに言わせると、本来の浦和のサッカーは、やっぱりボールをつなぐサッカーなんだってことみたいですね。よく、「西野朗(現ガンバ大阪監督)を監督にしろ」って言ってるみたいですよ。

く:でも西野さんは浦和西出身で、市高(市立浦和)や南高(浦和南)出身のいわゆる「主流派」じゃないじゃないですか(笑)。

K氏:そう、主流じゃないんですけど、やっぱりその指導手法とかは結構評価が高いみたいです。

く:そういう「名士」の人たちは、今のサポーターから煙たがられたりってしないんですかね。

K氏:うーん。実際に「今の若い世代にとっては、浦和のサッカー=レッズですよ」って言ったら、「浦和のサッカーっていうのはそれだけじゃない」って滔々と反論されちゃいましたよ。話をしてみると、やっぱりサッカーに掛ける情熱はすごいですよ。それにサッカーをよく知ってますしね。現役時代にはペレやベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーとかと対戦した経験があったりして、そういうすごい人が街のその辺に普通にいるっていうのは浦和の底力だと思いますね。

く:ペレですか?

K氏:そう、失礼ながら、いやーペレと対戦したような人がまだ存命なんだって思っちゃいました(笑)。歳を考えれば不思議でもないんですけどね。サッカーが90分で終わりって考えちゃえばそんなことを考えなくてもいいのかも知れないけど、やっぱり歴史っていうのは力になるなと思いましたね。

く:そういう人たちのフィンケ監督に対する評価はどうなんですか?

K氏:「簡単にチームが変わると思わない方がいいぞ」ってことみたいですね。「そんなに甘いもんじゃない」って。

く:フィンケ監督がどんなサッカーを見せてくれるのか、それは僕も楽しみにしてるんですけど、でも「浦和のサッカー」ってイコール「フィンケのサッカー」なんですかね?

K氏:それは怖いですよね。もしフィンケが結果を残せないでクビになったとしたら、何も残らない可能性もある。でも例えば去年高円宮杯で勝ったユースのサッカー、ああいうサッカーをすれば、みんなが支持するようになるんじゃないかと思いますよ。

く:ただ、あのユースチームについては、実力的に他のチームよりもちょっと抜けていたからああいうサッカーができたけど、今度はプロが相手。99年に当時の原監督が盛田を重用して批判されたように、新人の起用って難しいところもありますよね。果たして起用された新人がどれだけやれるのか、あるいはどれだけ監督が我慢できるのか。

K氏:「名士」の人たちによると、例えば濱田なんかはすごく評価が高いみたいですね。トレセンとかで見たときにすごくよかったって。それに(山田)直輝が去年試合に出た時なんて、地元の子だから浦和界隈は結構騒ぎになったみたいですよ。(高橋)峻希が昇格したおかげで、朝霞あたりでも「レッズを応援しよう」っていう機運が盛り上がってるそうですし。やっぱり「すぐそこでボール蹴ってた子」みたいな意味で知ってる子が出てくると地元は盛り上がりますよ。

く:なるほど。

K氏:ただ、心配なのは最近はアルディージャさんが熱心ですからね。市内の企業とかの中では「レッズさんは何もしてくれないからアルディージャを応援しようか」っていうような雰囲気もあるみたいですね。

く:何もしてくれない?

K氏:レッズはそういうところはあんまりうまくないですよね。昔は選手も浦和に住んでいて、その辺のお店にひょいっと入ってご飯でも食べて、そうしたらそのお店の人はレッズが好きになるじゃないですか。今は選手もなかなか浦和に住んでなかったりしてね。ファンサービスだとかの面でも「誰が給料を払っているのか」ということを考えないと。

く:でも最近は大原でのファンサービスとかは多くなったっていう話ですよ。もっとも、最近のニュースではマンチェスター・ユナイテッドでも売買するから?マンUがサイン禁止令なんていう話もあったりして、どこも一緒なのかななんて思ったりしますけど(笑)。

K氏:そういう意味でも、やっぱり直輝とか浦和出身の子がしっかりしたチームの軸になって活躍してくれれば。まあでも、僕らも今シーズンは覚悟していかないとと思いますよ。今は練習試合も連勝しているし、簡単に勝てると思う人が多いかもしれないですけどね。

きっと浦和のあちこちの飲み屋で似たような会話が交わされていることだろう。あるいは埼玉県中のあちこちで、あるいは日本中の。
今シーズンの開幕まであと11日。

鹿屋体育大学戦の結果を追加。
また、それだけではつまらないので出場試合数、出場時間、得点数、1得点あたりにかかった時間それぞれの上位5位を抜きだした『BEST5』を追加。

詳細はシーズン前出場記録を参照のこと。

特筆すべきはエジミウソンの好調さ。鹿屋体育大学戦でも1ゴールを奪い、出場試合数、出場時間、得点数でチーム首位を守った。
また、1得点にかかった時間の項目でも、60分しか出場していない達也を除けばトップ。
1点当たり約65分といまだ1試合1点以上のペースを保っている。

浦項スティーラーズとの試合を終えたので、シーズン前の練習試合の出場記録をまとめてみた。試合終了ごとに随時更新するかも。

シーズン前出場記録
        1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  
        1/18 1/21 1/24 2/7 2/14 2/15 2/18 2/21 2/22 2/24  
        福岡大 鵬翔高 宮産大 明治大 中央大 栃木SC 浦項 FC琉球 鹿体大 蔚山  
        宮崎 宮崎 宮崎 大原 大原 大原 指宿 指宿 指宿 指宿  
          5-1 7-0 1-0 2-0 2-1 3-1 3-0 5-0  4-0 3-2  
           
No 選手 90 90 90 90 90 90 90 90 90 90  
1 山岸範宏 8 338 0 ▽45 ▽45 ▲23 ▽45 ▽45   ▲45   ▲45 ▲45  
2 坪井慶介 9 512 0 ▽45 ▲45 ▽45 ◆32 ▽65 ▲28   ▽72  
3 細貝 萌 9 436 2 ▽45 1 ▽45   ▽45 ▽65 1 ▲28 ▲45 ▽45 ▲63 ▽55  
4 闘莉王 5 371 1     ▽45     ▽62 ▽84   ○ 1  
6 山田暢久 6 273 3 ▲45 1 ▲45 ▽45 1 ▲45 1 ▽65 ▲28          
7 梅崎 司 4 180 2 ▽45 1 ▽45 1 ▲45 ▲45              
8 アレックス 0 0 0                      
10 ポンテ 8 363 2 ▽45 ▲45 ▲45 ▲45 ▽65 ▲28 1 ▽45     ▲45 1  
11 田中達也 2 150 2               ▽60 2    
12 堤 俊輔 0 0 0                      
13 鈴木啓太 7 431 1 ▲45   ▲45 ▽45 ▽65 1   ▽86 ▽55    
14 平川忠亮 8 440 0 ▲45 ▲45 ▲45 ◆32 ▽65 ▲28      
15 エスクデロ 6 288 0 ▲45     ▽45 ▲25 ▽62 ▽66 ▽45      
17 エジミウソン 10 479 7 ▽45 ▲45 3 ▽45 ▲45 ▽65 ▲28 ▲45 1 ○ 2 ▲45 1 ▲26  
18 赤星貴文 8 291 0 ▽45 ▲45 ▽45 ▲13     ▲6 ▲35 ▲12  
19 高原直泰 9 525 4 ▲45 1 ▽45 1 ▲45 ▽45 ▲25 ▽62   ○ 1 ▽78 1  
20 堀之内聖 6 302 0 ▲45     ▽45 ▲25 ▽62     ▲35  
21 永田拓也 8 333 0 ◆24 ▽45 ▽45 ▽45 ▲25 ▽62   ▲30 ▽57    
22 阿部勇樹 6 402 1       ▲45 ▲25 ▽62 1    
23 都築龍太 3 135 0             ▽45   ▽45 ▽45  
24 原口元気 10 484 5 ▽45 ▽45 2 ▽45 ▽45 1 ▲25 ▽62 1 ▽63 1 ▽45 ▽45 ▽64  
25 近藤徹志 5 246 0 ▲45 ▲45 ▲45 ▲45       ▽66      
26 濱田水輝 9 335 0 ◆21 ▽45 ▲45 ▽45 ▽65 ▲28 ▲4 ▲45 ▲37    
27 西澤代志也 8 384 1 ▲45 1 ▲45 ▽45 ▲13 ▽65 ▲28   ▽53    
28 加藤順大 7 265 0   ▲45 ◆22 ▲45 ▲45 ▽45   ▽45 ▲18    
29 大谷幸輝 5 225 0 ▲45 ▲45 ▽45     ▲45   ▲45      
30 野田紘史 8 372 0 ▲21 ▲45 ▲45 ▲45 ▽65 ▲28   ▲33    
31 橋本真人 8 222 0 ▽24 ▽45 ▲45 ▲13 ▲25 ▲28   ▲24 ▲18    
32 林 勇介 10 456 2 ▽45 ▽45 ▲45 ▽45 ▲25 ▽62 ▲27 1 ▲45 ▽72 1 ▽45  
33 高橋峻希 9 384 1 ▽45 ▽45 ▽45 ▽45 ▲25 ▽62 ▽45 ▲45 1 ▽27    
34 山田直輝 7 278 0 ▲45 ▽45 ▽45 ◆32 ▲25 ▽62 ▲24        
○:フル出場 ▲:途中出場 ▽:途中退場 ◆:途中入場途中退場 ×:出場停止 1:得点

BEST5(2009.2.24現在)

出場試合数(全10試合)

1位:エジミウソン(10試合)→
1位:原口元気(10試合)→
1位:林 勇介(10試合)→
4位:坪井慶介(9試合)↑
4位:細貝 萌(9試合)↑
4位:高原直泰(9試合)↑
4位:濱田水輝(9試合)↓
4位:高橋峻希(9試合)↓

出場時間(全900分)

1位:高原直泰(525分)↑
2位:坪井慶介(512分)↑
3位:原口元気(484分)↑
4位:エジミウソン(479分)↓
5位:林 勇介(456分)→

得点数(全34得点)

1位:エジミウソン(7得点)→
2位:原口元気(5得点)→
3位:高原直泰(4得点)↑
4位:山田暢久(3得点)↓
5位:細貝 萌(2得点)→
5位:梅﨑 司(2得点)→
5位:ポンテ(2得点)↑
5位:田中達也(2得点)→
5位:林 勇介(2得点)→

1得点にかかった時間

1位:エジミウソン(68.4分)→
2位:田中達也(75分)↓
3位:梅﨑 司(90分)↑
4位:山田暢久(91分)↑
5位:原口元気(96.8分)↓

2009.2.21 FC琉球戦の結果を追加
2009.2.22 鹿屋体育大戦の結果と『BEST5』を追加
2009.2.24 蔚山現代戦の結果を追加

随時更新する予定。時間についてはすべて日本時間。時間は30分単位にしか指定できないので、10分とか15分というような開始時間の場合は直近の0分、30分の早い方に合わせているはず。
凡例としては色が微妙だが、赤がレッズのトップチーム、茶がレッズユース、オレンジがレッズレディース、青が日本代表、緑が埼玉県内の予定、水色がレッズの選手、スタッフの誕生日になっている予定。

2007年4月の浦和カップ以降、同じ年の9月にエントリーを1つ上げただけで、不本意ながらこのBlogは放置状態となっていた。このたび再開するにあたって、Movable Type(以下MT)も新しくなっていることであるし、アップグレードをすることにした。

ついては例によって以下のようなサイトを参考にさせていただいた。

手順にのっとって、ファイルやDBのバックアップを取り、ダウンロードしたMT4.23をサーバにアップロード、実行した。
最初にうまくいかなかったのは、cgiファイルの属性の設定を忘れるという初歩的なミスのため。
次に引っかかったのはこういうエラー。

Can't locate object method "lowercase_jcode" via package "MT::I18N::default" (perhaps you forgot to load "MT::I18N::default"?)

エラーメッセージの中に「forgot to load(上げ忘れた)」という言葉があって、確かにftpソフトがアップロード中に何度か不正終了していたので、そのせいかと該当しそうなファイルを何度もアップロードしなおしてみるも、うまくいかない。そこでエラーメッセージをそのまま検索窓に投入してみると以下のようなQ&Aが出てきた。

Q. エラー「Can't locate object method "lowercase_jcode"」

インストール中の画面で文字化けが発生しました。また、インストール完了後、以下のエラーが発生し管理画面にログインできません。

Can't locate object method "lowercase_jcode" via package "MT::I18N::default" (perhaps you forgot to load "MT::I18N::default"?)at lib/MT/I18N/default.pm line 110.

A.

ご利用環境の Perl のバージョンに依存して発生する現象となります。Perl 5.6.1 の環境において、Movable Type 4.2 以降のバージョンへのアップグレード、または新規インストールを行った場合に発生します。下記のリンクから、ファイルをダウンロードし適用することで、問題を回避することができます。

そこで上記のページにあったリンクからファイルを適用してみると見事に解決した。
これでとりあえずMT4.23のダッシュボード(入力画面みたいなもの)にたどり着いたが、ページのレイアウトが滅茶苦茶になっている。どうやらテンプレートをMT4.23基準のものに初期化しなければいけないらしい。しかしこの「テンプレートの初期化」プログラムがうまく動かない。
あまり引っかかったりするところではないらしく、検索をしてもそれらしいものは引っかからない。とりあえずおかしくない程度に整えるか、と手作業でスタイルシートなどをいじってみたものの、昔の自分がどういう意図で書式を設定したのかがよくわからなかったりしてなかなか進まない。
半ばあきらめかけたころにふと思いついて、件の「テンプレートの初期化」プログラムをそれまでFirefox3.0.6で作業していたのを、IE7で動かしてみることにしてみた。JavascriptなどでまれにFirefoxではうまく動かないものがあったことを思い出したからだ。
するとプログラムは何の問題もなかったかのように動き、テンプレートは更新された。いったい何のために苦労をしたのか...。

さて、それからスタイルシートやウィジェットの設定を進めた。
過去に上げたエントリーが意図どおりに見えるようにするためだ。実はこれは2007年3月にStyleCatcherを導入したときから引っかかっていたことで、それ以降は過去のエントリーが正しい(中の人にとって)見た目をなしていなかったのだ。
StyleCatcherはMT4.23では「スタイル」という名前になっているが、要は外部のデザインを自分のBlogに取り込む仕組みという基本は変わっていない。そうするとスタイルシートは以下のような無味乾燥なものになってしまう(以下はMT3.3の例)。

/* This is the StyleCatcher theme addition. Do not remove this block. */
@import url(http://xxxx.xx/xx/themes/base-weblog.css);
@import url(http://xxxx.xx/xx/themes/theme-vicksburg_red/theme-vicksburg_red.css);
/* end StyleCatcher imports */

そこでいろいろ調べてみると、こんなものが見つかった。

要するに「styles-site.cssの下の空いている部分に好きなスタイルをどんどん追加すればいいだけ」なんです!!

これは「スタイルシートは一番最後に読み込まれたものが適用される」という原理を利用したものです。

ということで、StyleCatcherで適用されたデザインの大部分は生かしつつ、過去に使ったデザインを付け加えて適用することができた。
苦労はしたが、積年の引っ掛かりも解消、悪くない気分だ。

12:15からの第2試合は第1試合と同様に冷え込みの厳しい与野八王子グランドで行われた。
同じ市内の高校とあって、ギャラリーは浦和東、アルディージャの親御さんや生徒、ファンと入れ替わりに多くが詰めかけ、埼玉栄はオレンジの、浦和南は赤の横断幕をグランドの両端に広げた。
フォーメーションは埼玉栄が4-3-3、浦和南がオーソドックスな4-4-2で臨んだ。メンバーについては「ゆうこう」と呼ばれていた高瀬優孝以外はわからない。

【埼玉栄高校】
---------12??---------
04??---14??---06??---03??
---------23??---------
------05??---09高瀬②-----
---15??---10??---25??---
.
------12??---13??------
---08??---07??---11??---
---------15??---------
16??---02??---03??---06??
---------01??---------
【浦和南高校】
(40分ハーフ)
'06 浦南【得点】07 0-1
'32 栄高【警告】09高瀬②
'42 浦南【警告】15
'56 栄高【交代】25→19
'62 栄高【交代】15→13
'64 栄高【退席】エスクデロ総監督
'69 浦南【交代】11→20?
'72 浦南【交代】12→09
'73 栄高【交代】03→02
'73 栄高【交代】23→20

ゲームはいきなり動く。4分、こぼれ球を拾った浦和南の7番がドリブルからのシュートで先制した。早い時間だっただけに失点した埼玉栄にも焦りの色はなかったが、結局この1点に埼玉栄は苦労することになる。31分には15番からのクロスを高瀬がヘディングで合わせるが、これは枠をそれた。前半は結局0-1のまま終了した。
前半から埼玉栄応援団からは主審の判定に対して異議の声が上がっていた。多くはそれほどひどい判定でもないと思えるものだったが、64分にCKからの折り返しを高瀬がペナルティエリア内でシュート体勢に入って倒されたシーンがノーファールとなった判定はやや疑問の残るものだった。
恐らくはこのときの判定に文句を言ったのだろう。直後にエスクデロ総監督は退席処分となった。
ちょうどこのプレーの前あたりから浦和南の中盤の選手は足が止まり始めており、埼玉栄の攻勢が続いている中での出来事だった。
68分、71分にも埼玉栄はゴール前に迫るが得点に至らない。終了間際の78分には7番がゴール前で19番にパスをつなぐものの、19番のトラップが大きくシュートまで行けない。ロスタイムにも5番がシュートするが、これは勢いなく、GKが抑えて試合は浦和南の勝利に終わった。

この結果を持って決勝は浦和東高校と浦和南高校の「浦和ダービー」ということに決まった。
2試合を振り返ってみると、それぞれ予選リーグ1位の大宮アルディージャユース、埼玉栄高校がいずれも敗れた。恐らく選手個々の技術などはアルディージャや埼玉栄が対戦相手を上回っているのではないかと思われたのだが、いずれも浦和東、浦和南の献身的なプレッシングの前に実力を発揮しきれなかった。判定の問題などもあるにはあったが、敗れた2チームはそれを乗り越えて相手を圧倒するまでに至らなかったのも事実であったように思う。
これで今年のプリンスリーグ関東2部リーグに出場するのは浦和東高校か浦和南高校のいずれかということになった。近年の埼玉県代表チームは、レッズを除きプリンスリーグでは成績を残しきれないでいる。両チームのうちのどちらがプリンスリーグに出場するにせよ、「献身的」なだけでない魅力を見せてほしい。

墨絵のような曇り空の下、9:45から与野八王子グランドで埼玉県U-17リーグの第一戦、浦和東高校-大宮アルディージャユース戦が行われた。
県U-17リーグは今年度行われるJFAプリンスリーグ関東U-18 2009へ出場する埼玉県代表チームを決定するもので、優勝チームはプリンスリーグ関東の2部リーグへ参加できる。
プリンスリーグ関東の2部リーグは上位4位までが1部リーグと入れ替え、それ以外の8チームは毎年1都7県の代表チームが選ばれるため、昨年は6位で1部リーグへの昇格を逃した浦和東にとってはプリンスリーグへの再挑戦、アルディージャにとっては初のプリンスリーグ参戦をかけた一戦である。
以下のフォーメーション表に記した選手名については、浦和東は1月25日に行われた高校サッカー新人大会決勝のもの、アルディージャについてはユースチーム PlayersFile : 大宮アルディージャ公式サイトにあったものを仮に記しているが、正確性については保障できない。また、時間については手元の時計によるものである。

【浦和東高校】
---------17岩崎②--------
15橋本②--03金子②--04松田②--19境①
------18??---16??------
--11川田②----------06中西②-
------09吉田②--10荒井翔②----
.
------07中川②--14清水①-----
11宮崎①--------------18飯野①
------10桑田②--06石川②-----
05宮澤②--04岡田②--08井上②--02川井②
---------20荒井②--------
【大宮アルディージャユース】
(40分ハーフ)
'23 浦東【得点】11川田② 1-0
'38 大宮【警告】11宮崎①
'42 大宮【得点】10桑田②? 1-1
'57 浦東【得点】06中西② 2-1
'63 浦東【得点】10荒井② 3-1
'64 大宮【交代】14清水①→09大久保②
'78 浦東【交代】10荒井翔②→12菊地②
'79 浦東【交代】11川田②→07荒井雄②
'79 大宮【警告】08井上②?
'79 浦東【交代】06中西②→??

ゲームはボールを支配するアルディージャと、粘り強く守る浦和東という様相で展開する。浦和東の野崎監督が「高さでは勝てるぞ」、「クリアをパスにしてやれ」と指示するように、浦和東は確かに「競って走って」というサッカーをしていたが、そればかりではなく中盤の高い位置からのプレッシングでアルディージャに自由にプレーをさせない。
そうしたプレーが実を結んだのは23分。アルディージャのバックラインの横パスをインターセプトした11番(川田)がGKとの1対1を決めて先制した。
アルディージャはサイド攻撃を指向するも、浦和東のディフェンスになかなかゴール前までクロスを上げ切ることができない。そのまま前半は終了した。
アルディージャが追いついたのは42分。左サイドからゴール前に送られたボールにダイビングヘッドで合わせたシュートには勢いはなかったが、GKの逆を突いてそのままゴールラインを転がって越えた。
同点に追いついたこの時間帯、アルディージャは一転して勢いに乗る。53(後半13)分にはオーバーヘッドシュートが浦和東ゴールのバーを直撃した。しかし、結論から言えばこの時間帯に得点できなかったことがアルディージャの敗因となった。
57分、浦和東はカウンターから9番(吉田)が左サイドをやや強引なドリブル。エンドライン際でのマイナスのパスをゴール前に詰めていた6番(中西)がDFとGKの間のコースを抜いて再びリードを奪う。
さらに63分には再び9番(吉田)のドリブルからのパスを10番(荒井翔)が受けてドリブルシュート、リードを2点とした。
その後はアルディージャも攻勢を強めるも、浦和東が3-1で逃げ切った。

アルディージャには宮崎泰右という2008年のU-16日本代表候補キャンプ(12月16~20日)に選出されたMFがいるが、背番号からするとこの日は出場しなかったようだ。
これで2月15日に駒場サブスタンドで行われる決勝戦への1枚目の切符を手に入れたのは浦和東高校と決まった。

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