サポーターというのは、チームのために選手と一緒に敵と戦う人たちです。しかし時々、対戦相手ではなく、サッカーそのものに対して敵がやってくるときがあります。それは人種差別であったり、ドーピングであったり、八百長であったり、色んな形でやってきます。そしてその中で一番多いのは、政治やお金を優先してサッカーそのものをないがしろにする人たちという形が、一番多い「サッカーそのものに対する敵」です。この敵に対してはサッカー人は全てに優先して戦わなくてはいけないと僕は考えます。川淵、鬼武、犬飼はサッカーの敵と言うのに、何のためらいもないです。鬼武の出身クラブも地元なら、川淵の出身地もほぼ地元です。ホンマ大阪が日本サッカーの敵を二人も送り出してしまって申し訳ないです。
しかし最後に言わせてほしい、僕にとってクラブワールドカップの場に日本代表として、始めてたって欲しい連中は浦和レッズでもガンバ大阪でもなく、川崎フロンターレの野郎共でした。
実際の「サッカーの敵」は、こうして気に入らない出来事を煽り立てる人々なのではないかと思う。
日本では体制=権力にある人を貶めて引き摺り落とすということが、非難されることは少ない。
上記の記事はその典型例であって、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン、Jリーグの鬼武健二チェアマン、犬飼基昭専務理事という、権力の座(?)にある人を「政治やお金を優先してサッカーそのものをないがしろにする」と非難している。
著者の「toronei」氏が彼らをそういう表現を使って非難している理由はなんだろう?
上記のエントリーには明記されていないが、どうやら川崎フロンターレがAFCチャンピオンズリーグの準々決勝でPK負けしたことに対し、上記の3名(上記エントリーでリンクされている記事からすると川淵キャプテンと犬飼専務理事の両名の名前が出ている)が苦言を呈したと報道されていることに対し、「こいつらが侮辱したのはフロンターレじゃない、こいつらが侮辱したのはJリーグであり、サッカーそのものだ。」ということであるようだ。
勝負はやってみなければわからない。それはサッカーに限らず勝負事の真実だ。
しかし、勝負の場に臨むにおいては、やはり全力を尽くさなくてはいけないのは間違いないだろう。
今回問題とされているのは2点。
(1)川崎フロンターレがACLの準々決勝第1戦でJリーグがチャーター機(帰途のイスファハン→ドバイ間)を用意したのに対し、直後のJ1第26節で先発メンバー8名を入れ替えて臨み、0-4で敗れたこと。
(2)その後のACL準々決勝第2戦においてPK戦で敗れたこと。
であるようだ。
一つのポイントは今回のチャーター機はJリーグが用意(ないし費用負担)したことだ。
例えば、今回川崎はホーム大分戦の後にイランでACLを戦い、アウェイで柏戦を戦っているのであるが、逆にアウェイ大分戦の後にホームで柏戦を戦うとして、川崎にだけ大分から羽田までのチャーター機をJリーグが用意したとすれば、柏に対して、あるいはJリーグを戦う他のチームに対しても不公平になるだろう。
「Jリーグ」がチャーター機を用意するということはつまりそういうことで、もちろん川崎がACLで活躍してほしいという裏の目的はありつつも、ACLの日程のために著しくリーグ戦の対戦が不公平なものになるから、柏戦に臨むに当たって、チャーター機を用意しているのだ。
帰途にチャーター機を用意したのはそのためで、ACLのためならば往路に用意しなければ疲労軽減というような目的は果たせない。
しかし川崎はチャーター機を使って帰ってきた柏戦で、先発メンバーの大半を入れ替えた。
疲労は軽減されているはずだが、十分ではなかったのかも知れない。控えメンバーの方がコンディションを考慮に入れると力的には上だとチームが判断したのかも知れない。そういうことは実際にあり得ることだ。そして川崎は負けた。
そしてACL、川崎は先発メンバーを元に戻し、そして敗れる。
力が及ばなかった、あるいは運がなかった、実際にそうなのだろう。
しかし、こういう仮定も成り立つ。「川崎はACLを勝ち抜くためにリーグ戦を捨てた」
これではJリーグはチャーター機を用意した意味がないのだ。
なぜ特定のチームに肩入れすることなく中立でいるべきJリーグが、川崎にチャーター機という便宜を図ったのか。それはまずもってJ1リーグ戦のためである。
あるいは柏戦を戦った控えメンバーの方がこの時点では(コンディションだけでなく)実力的に上だからだという判断があるかも知れない。しかし川崎はACL準々決勝の第二戦に臨むに当たってメンバーを元に戻している。
これでは柏戦でメンバーを(敢えて)落としたという仮定が説得力を増してしまう。
いや、柏戦の段階では控えメンバーの方がコンディションのために力は上で、ACLの時点では元のメンバーのコンディションが戻った、川崎は常にベストメンバーを出しているというのが本当だろう。
川崎は既にリーグでは優勝の目がない(第26節現在で9位)から、ACLに力を向けるのは当然だ、という人もいる。しかし(日本サッカー界としてはともかく)Jリーグとしてはそんなことを認めるわけにはいかない。
そこで川崎に対して事情聴取をするというのはある意味当然だろう。
しなければJリーグは仕事をしていないことになる。
それを、「川崎は頑張ったのに、負けたから叩いている」というのはあまりに短絡的、脊髄反射的だ。
あるいはそうした権力者を貶めるために敢えて見当違いないちゃもんをつけている、のか。
もし後者ならば、それこそが「サッカーの敵」だ。
前者であっても無知がその罪を許すとは思えない。
さらにスポーツ報知の以下の記事だ。
それでも「やるべきことはやった」(関塚監督)と、潔く結果を受け止めようとしていた敗者に、Jリーグの犬飼基昭専務理事が“ムチ”を打った。柏戦(23日)に主力8人を休ませながらのこの日の敗戦に、「チャーター機は必要なかったんじゃないか。(主力温存の)説明を求める」と怒りを表した。
これもまた問題のある「マスコミ報道」だ。
関塚監督はACL準々決勝の結果を「潔く」受け止めようとしていたかもしれない。しかし犬飼専務理事が問題としたのは「(主力温存の)説明を求める」ということで、つまりは柏戦の話だ(ACLでは主力を温存してはいないだろう)。
それを「柏戦(23日)に主力8人を休ませながらのこの日の敗戦」と別の話をさも同じことのようにつなげているのだ。
確かに犬飼氏はJリーグの専務理事としてではなく、サッカー人として怒っていたのかも知れない。
それは確かに伝え聞く氏の性格からしたら考えられることだ。
しかし柏戦の説明を求めるという、言っていることに間違いはない。
あるいは報知の担当記者はそのコメントを聞いてカチンときたのかも知れない。みんなが悲しんでいるこんな場で、そんなこと言うな、空気読め、と。
しかしその感情が上記の記事になったのだとすれば、これは記者個人の私情だ。
別に私情や思い入れを否定する気はない。しかしこうして扇動するのはどうだろうか?
そういうことこそが「サッカーの敵」であるような気がしてならない。
それらとは別にもう一つ個人的な感想がある。
最初の「toronei」氏のエントリー内にも「僕にとってクラブワールドカップの場に日本代表として、始めてたって欲しい連中は浦和レッズでもガンバ大阪でもなく、川崎フロンターレの野郎共でした」とある。
「toronei」氏がそう思った理由は明記されていないからわからないが、世間に川崎フロンターレを称える声は少なくない。
本当に悔しい結果。
浦和レッズなら今年勝てなくても、来年、再来年とチャンスがあるだろう。
しかし川崎はそういうクラブじゃない。
予算規模は浦和の3分の1。J1の下位グループに入る貧乏クラブだ。
箕輪義信は磐田から捨てられた。
谷口博之はFマリノスでトップに昇格できなかった。
村上和弘、森勇介などはJ2を解雇された選手。
選手層だって薄い。そういう集団がつかんだチャンスだった。
その理由は上記のエントリーにもあるように、「浦和の3分の1」の予算規模のクラブが「薄い」選手層にもかかわらず頑張っていることを讃えるのが大半だと思う。
私もそのことは全く同意だ。
だが、そうした評価はえてして脱線してしまう。
「浦和の3分の1」の予算規模だからしょうがない、「薄い」選手層だからしょうがない、となってしまうのだ。
プロサッカークラブである以上は、予算規模が小さいこと、同じ意味だが選手層が薄いことは、ピッチ上で良いサッカーができないこと以上の欠点だ。
「日本人は貧乏を尊ぶ傾向がある」というのは私の仮説だが、「toronei」氏の「浦和レッズでもガンバ大阪でもなく、川崎フロンターレ」というのは、あるいはその仮説を証明するものであるかも知れない。
しかし、そうした「貧乏を尊ぶ傾向」は、「予算規模が小さい」欠点を覆い隠してしまう。
もちろん予算規模がどんなに大きくても、それが適切に使われなければ意味はない。しかし、金持ちの浪費者が、その浪費を改めるという選択肢があるのに比べて、貧乏人には選択肢はない(金持ちになるという身も蓋もないもの以外には)。
もちろん川崎フロンターレが頑張っているから好きで、浦和レッズは金持ちだから、あるいはそれ以外の理由で嫌いだという個人の趣味についてどうこう言うつもりはない。浦和レッズのサポーター以外にもAFCチャンピオンズリーグを戦う浦和レッズを応援してほしい、あるいは応援すべきだとは思わない。
そもそも浦和レッズが「日本の代表」であるとは思わない。
浦和レッズは常に「浦和」の代表であり、余人にかかわるものではない。
もちろん応援したいというのは止めない。
が、しかし、「予算規模が小さい」のは明らかな欠点だ。
簡単にどうにかできるものではないのは確かだが、そのあたりは贔屓の引き倒しにならないよう、注意すべきことであるように思う。
もちろんだからと言って川崎フロンターレの偉業の価値が薄れるわけではない。
