試合については簡単に。
ニッカン式スコアを見ればどんな試合だったかはわかります。
11人同士の試合で支配率に10%近くもの差がつくことは普通ほとんどありません。
シュート数も23(枠内13)本vs7(枠内5)本と3倍近い差があります。
ここではこの試合でも問題になった審判の問題について触れたいと思います。
まず、審判の問題としては幾つかに分類して考えなければいけません。
- (1) 基本的な判定能力の低さ
- 買収されてるんではないか?などというのは与太話として、「判定できない」といったレベルの低さと、人間であるからということ以外に理由のないミスも含みます。 この日の試合でいえば、間違ったPKの判定はこのカテゴリに含まれます。
- (2) SR制度の問題点を含む制度面の歪み
- 判定の方針といった面に対する影響として、特にSR(スペシャル・レフリー)に見られる判定の偏り、国際的な基準からは遊離した国内サッカーの現状の環境をもたらしている制度面の問題点です。 前項と同様にこの日の試合では、ジュビロに3つ、レッズに6つという警告数の違いに表れています(直接FK+間接FK+PKを相手に与えた数ではジュビロ23、レッズ24と大差ないのにもかかわらずです)。
- (3) 審判は問題視すべからずといった風潮
- かつてマリノス-ジュビロ戦で福西選手が手でゴールした際に大きく取り上げられたのが例外なくらいで、報道も「後味が悪い」、「抗議をした」という表現がせいぜいで、審判についての言及には腰が引けている現状があること、またサポの中にも文句を言っても仕方が無いという風潮があることなどです。
まず(1)の基本的な判定能力の低さについては、SRとして選抜され、他の審判の模範となるべきような立場の岡田正義氏のこの試合での判定、開幕戦での吉田寿光氏(SR)のアントラーズFWのシミュレーションを見抜けない判定技術、第3節大分戦での西村雄一氏(SR)のトリニータ・レッズ、前半・後半での判定基準の違いなどが挙げられます。
これについてはSRという要職にあるものまでがミスを犯している現状からは絶望的とも言えますが、改善するつもりさえあれば、技術的な問題ですから向上は望めないこともありません。
しかしながら、むしろSRに該当するものにこそ重大なミスが連発している(前述の福西選手のハンド・ゴールも岡田正義氏が担当)現状、また審判に判定基準が課されることによって、ミスに見えるものが実は「敢えてとっていない・いる」ということも考えられるため、これは次項の問題とも密接に結びついています(というか本来なら分けなければいけないものが、うまく別けてみることができない)。
次に(2)のSR制度の問題点を含む制度面の歪みについては以下にうまくまとめられています。
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/soccer/1110020012/148
Jを世界一フェアなリーグにするのは審判委員会の理想であって
我々Jリーグファンの理想ではない
問題点
現在のSRおよび審判員は、財団法人日本サッカー協会 審判委員会が定めた評価基準によって評価されている。
この基準に従った結果、
1.Jクラブおよび所属選手が国際的な基準で競争することができない
2.Jリーグの試合において退場が頻発し、ファンが試合観戦を楽しむことができない。
という状況が生じていると思われる。
(しかしながら上記のサイトの管理人さんは同時に別のサイトで以下のようにも言われているので、使っている言葉自体は同じでも、目指すところ・スタンスは私と違うのだろうと思われます。)
どっちのサポもてめぇんとこひいき目に見るんだから、
「あのプレーは汚い」とか「非紳士的だ」とか言ってもきりがないっちゃぁきりがない。
でも「自分とこだけ被害者で相手は汚い」って言動はむかつく。
みりゃわかるように、お互い様だろ?
ルールの中の駆け引きや、それへの憤りまで含めて楽しみだろ? そこまで含めてサッカーだろ?
だからこそたかが玉蹴りに夢や生活かけられるんだろ?
相手、観客、審判、スタッフ、スポンサーいなかったらサッカーできねぇんだぞ?
だから偉そうにピッチの外で自己正当化して口汚く相手を非難すんなよな。
(釣男とギドと赤軍サポ)
と思いました。
上記の「問題提起」に引用されている問題点としてクラブと所属選手が国際的な基準で競争することができないという点、退場のために観客が試合を楽しむことができないという二点が挙げられていますが、付け加えるならば「国際的な選手が活躍することができない」という問題もあることでしょう。
これは何も今に始まった事ではなく、ジーコやピクシーも日本の審判には苦しめられました。
かつてのエメもそうでした。
そして今はアルパイが苦しめられています。
毎試合毎試合、試合前の集中すべき時間に審判から警告を告げられるなど尋常では考えられません。そして演技で挑発され、正当なチャージを警告にされるのです。
彼は一例にしか過ぎませんが、このようにして国際的に実績のある選手も力をセーブして、言い方を変えれば手を抜いて、プレーしなければいけないということになれば、この国のサッカーの発展は見込めません。
現実問題として、海外に移籍した日本人選手の多くが判定基準の違いに苦しみ、代表選手は国際試合で判定の違いに戸惑っています。
ジュビロ磐田がアジアの舞台で敗れたのは象徴的というべきでしょうか。
2chのスレにこうした発言があります。
276 :U-名無しさん :2005/04/28(木) 08:28:58 ID:MYCbhAga0
モットラムが言っていることを要約すると
「目指すべき判定基準のモデルはヨーロッパにはない。
ワタシが推し進めている日本でのプロジェクトが新スタンダードになりえる」
いやあ、、、、、冷静に考えてみると、とても危険だよね。
日本の判定基準だけ、世界のスタンダードと逆行してしまってるんじゃないか?
とさえ思ってしまう。
この国のサッカーの審判(ないしはその制度)に問題があるのは恐らく間違いありません。
そして最後に(3)の審判は問題視すべからずといった風潮です。
審判はかつての教師がそうであったように聖職とされている印象があります。
審判は敵味方の双方にランダムにミスを犯すのだから、その影響は天候やピッチの状態などと同じように許容すべきだという考え方もあります。
敗軍の将が誤審について語るとき、「潔くない」というように考えるのは、日本独特の考え方でしょう。
イギリス人ライターのジェレミー・ウォーカーは「レッドカード事例のテレビ討論を求む」という題で以下のような文章を書いています(ちなみに文中の試合の主審はやはりSRの上川徹氏)。
本来、私はレフェリーを批判することが好きではない。レフェリーというのは厄介な仕事だし、最近ではほとんど不可能な仕事だからだ。しかし、今回のように性急な、不必要な判断で、レフェリーが自ら救いようのない行為に走る場合もある。
しかし、もうどうしようもない。ストヤノフは退場となってピッチから去り、結果、アントラーズが4-2で快勝した。
これはきわめて重要なポイントであり、私は、土曜夜のスポーツニュースでストヤノフの事例が時間をかけて分析され、可能な限りさまざまなアングルの画像が何度も映されるのを楽しみにしていた。
イングランドではそうして、このような議論の的となる、ゲームを左右した判断についてパネリストやコメンテーターが果てしなく喋り続けるのである。
しかしNHKの『サタデースポーツ』はこの事例を完全に無視していた。ただ、この試合のワンダフル・ゴール――小笠原の堂々たる2得点や勇人の見事なゴール(この若き佐藤は、なんて素晴らしいんだろう!)、ハースの絶品のシュートなど――は放映した。
このイギリス人も「私はレフェリーを批判するのが好きではない。簡単で、安っぽいからだ。」と書いていますから、審判を批判することを避けるのは、何も日本独自のものではないようです。
しかしながら、彼の祖国では審判がミスをすれば、それを追求する仕組みも習慣もあります。
我々の国にはそうしたものはありません。
それはどこからか圧力がかかっているからと言うよりも、そうした習慣・風潮により、審判を批判するということが視聴者の人気を得ない、とそう考えられているからでしょう。
あるいは、批判しないことが審判を守ることにつながると考えられているのかもしれません。
この問題を放置すれば、この国のサッカーのためになりません。
だから、半分言い訳になりますが、審判についての問題は取り上げられるべきです。
自分の応援すべきチームについてならなおさら主張すべきです。
誰もが良い子になって黙っていても、問題は解決されはしないのです。
