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リーグ32節 ジェフユナイテッド市原千葉

「優勝」が目標、まだ諦めないという人が何人もいます。
ガンバとの直接対決に破れた時点で残り4試合で勝ち点差は7、ここで「勝ち点差が残り試合数以下なら可能性がある」という経験則からすれば、可能性は消滅しました。
結果的には上位が足踏みをしているため、残り2試合の時点においても勝ち点差は4となってはいます。

しかし、今上位チームの敗戦を喜び、上位チームの選手の欠場を祈ることに何の意味があるでしょうか?
もちろん優勝できなくても良い、優勝できないべきだというわけではありません。
何かの間違いで最終的に首位に立っていたとするならば、それはそれで構いません。
しかしそれは、我々が目標とすべきものでしょうか?
シーズンが始まったとき、我々の目標は「結果として他のチームより上にいれば良い」というものだったでしょうか?
その頃は、「目の前の相手を倒す」、そういうものだったはずです。

いったん可能性が消滅して、それが復活したわけではない以上、原点に立ち返るべきではないかと思うのです。
結果などは最終戦が終わった後にスポーツニュースででも見ればいい。
試合後に、ガンバが負けた!といって喜んでいる人を見ると違和感を感じてしまうのです。

この試合は、優勝する可能性があったから重要だったのではありません。
駒場では巻の手で入れたゴールが認められ、マリッチが頬骨を骨折し、啓太が後ろから羽生に蹴られてカードを貰い、臨海では2点差を追いついたのにも関わらず、足をかけられて倒れた闘莉王がなぜかカードを貰って退場に追い込まれた、そういうまやかしの2試合の借りを返すためではありませんか。

中盤で圧倒しながら再び退場者を出して敗れ、「内容は良かった」で済むようなものでしょうか?
怪我人が、出場停止がいるから、台所事情が、そんなことは関係ないでしょう。
借りを返す、そういう意識が果たして選手や多くのサポにもあったのが疑わしく思っています。
ナビスコの2回目の決勝だとか、J1復帰後の対コンサドーレ札幌だとか、そういうリベンジの空気はなく、優勝の可能性に浮かれている人が多かったようです。

私には友人がいました。
彼は数年前のシーズンオフに亡くなりました。試合後に倒れたサポもかつていました。
彼らにとっては最後の試合というものがそれぞれにありました。

私たちとて、病気で、事故で、いつどの試合が最後になるか分かりません。
ましてやシーズンが変われば、ほぼ確実に何人かの選手とは別れることになり、同じチームを再び見ることはできないのです。
今日見に行く試合は、ただ今日にしかなく、2度と再びめぐり合うことはありません。

それを思うたび、一つ一つの試合に集中せずにはいられません。
そういう時、他のチームの試合をよそ見をしている余裕がありますか?

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