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リーグ第16節 柏レイソル

まずはニッカン式スコアを。
数字で見てもわかりますが、まごうことなき完敗です。
ボール支配率とシュート数で相手に上回られているのは久しぶりじゃないでしょうか。

例えば前節のアルディージャ戦のスコア。敗れたとは言っても支配率やシュート数では相手を上回っています。

ちょっと触られるとすぐに倒れるレイソルの選手と、それを全てとる高山主審のためにリズムが作れなかったとか、レイソルの選手が時間稼ぎでいったんスローインするボールを外に転がしてるのにイエロー出さなかったり、選手交代でもたもた歩いてたり、レイソルの選手が倒れてたり、スローインのボールをもたもた取りに歩いてたりするときは、時計を止めてるよという仕草を見せていたわりには大してロスタイムがなかったりもしましたが、何よりも低い位置でパスミスが多すぎでした。

うしろが準備できていないときにボールを取られれば、当然ラインは上げられないし、いったん前に重心のかかった選手は戻るのが一拍遅れるし、そういうことが続いている中でたまに前線にボールが出ても人が足りるわけはないしとまったく良いところがありませんでした。

そもそも8本もシュート撃ってたんだとか、リードされて攻撃的になるべき終盤に全然シュート撃ててないんだとかありますが、これを精神論にしちゃう河野さんはどうなんでしょうか(負け試合の後はいつもそうだけれど、今回もやはりそうだったか)?

ここのところ連戦ですが、国立-埼スタ-国立では移動したとも言えませんし、むしろ相手よりも条件はいいはずですが、コンディションはあまり良さそうに思えませんでした。
前節もそうだったらしいですが、相手がガッとくる序盤に持ちこたえることができなかった、あるいは相手以上に序盤から行くことができなかったということだと思います。
つまりは試合の入り方に失敗したと。
あるいは入り鼻に楽な試合をし過ぎたつけかとも思ってしまいます。

実際のところ、強くなったと思っていても、我々の持っている優位点など、ほんのその程度で覆ってしまう程度のもので(というよりも優位にあるように見える大概のチームもそうでしょう)、過信して油断していては発揮できないものなのでしょう。
他人に(つまり選手に)過信するな油断するな闘争心を持て、というのは簡単ですが、まずは自分自身がそれを心がけるべきでしょう。
そうした雰囲気はスタジアムに広がります。

去年の勝っていた時期もそうでしたし、地道に一つ一つやっていくしかないですよ。

さて、こんなことがあったそうです。

05.07.14 浦和レッズを応援してくださる皆様へ
本日、大原グラウンドクラブハウスに卵の投げ込みと、落書きがありました。昨年1月に新しいクラブハウスとなってから初めてのことであり非常に残念です。浦和レッズは選手の補強を含め、チームの強化に全力で務めています。今後も、皆さんの熱い思いは、スタジアムでのサポートで発揮していただきますようよろしくお願い致します。
これを見て、もちろんまずは「ケシカラン!」のですが、レッズ所縁の場所に「浦弱死!」などという落書きをする者が果たしてレッズサポなのだろうかという疑問を抱きます。 いや、実は他チームのサポではないかなどという陰謀論を語ろうというのではありません。

事実として、浦和の人(曖昧な言い方ですが)は誇り高いです。
それを継承しているレッズサポも誇り高いです。
そのあり方というのは、身近なところに目標もあり、人それぞれであり方はそれぞれでしょうが、共通しているのは我々自身がレッズだということです。いわゆる「We are Reds!!」というやつです。

例え負けて悔しかったとしても、「浦弱死」(読み方も意味も良くわからないのですが、つまり浦和は弱いから死ねということでしょうか?)と書くのがよくわからないのです。
これが、「恥を知れ」とか、「闘わない者は去れ」とかなら、これはつまり身内に対するものですから、わからないことはないのですが、弱いから死ねというのは、明らかに「外側」に向けたものです(弱いから死んで諌めるというのなら別ですが)。

また、大原であったり、駒場であったり埼スタであったりするのは、どんな時であれ何よりも大事なものだと認識されているはずです(そういえば、どこかのサポは余所のクラブハウスに落書きしたりしてたそうですね。その辺の認識というか文化は我々と違います)。

果たしてこれが果たしてレッズサポなのであろうか?
道徳心とかマナーとかとは別に、たとえその人物が太鼓の近くまで入り込んでマフラーを振り回していたとしても、それは既にレッズサポではない、形骸である。と私は思うのです。

色々言われる事はあっても、私は仲間たちを信用しています。犯人は恐らく既存の集団に属するような人間ではないでしょう。恐らく継続的な接触もないはずです。
なぜなら、今回のことが稚拙で、効果がなく、誰の心情も理解していない行為であり、何の責任も負担していないからです。

もし不幸にして、犯人がレッズ側のスタンドにいる者で、犯行が明らかになったとしたら、比喩ではなく彼は浦和の街を歩けないでしょう。

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