レッズが不調だというとまたぞろ騒ぎ出す人がいます。
監督を変えろと騒ぎ、フロント辞めろと騒ぐ人たちです。
そういった人は昔からいたし、今でもいます。
今はこんなことが彼らの争点であるようです。
- 補強しないのが悪い派
- シーズン当初に山瀬がチームを離れたため、その代役が必要です。また、昨年勝ったことから相手に研究されたので毎年チームを強化しなければいけないと主張する人たちです。
- 社長(フロント)が悪い派
- 今のレッズの犬飼社長は良くマスコミで発言が取り上げられる人です(その割にトリニータ戦後のアルパイに対する発言など虚報も多いのですが)。歯切れが良く、はっきりとものを言う人だから取り上げやすいということもあるのでしょう。が、それで無用の摩擦を生み出していたり、上の補強派と被りますが、補強しなかった責任を社長に求める人たちです。エスパルス戦後の社長のコメントに噛み付いている人もいます(まるで他人事だ、と)。
- システム・戦術・選手が悪い派
- 3バックより4バックが良い、暢久を右サイドで使わないのが原因だ、堀之内はストッパーとして失格だ、FWに電柱(背の高い選手)が必要だ、長谷部はトップ下で使え、山岸はキックが下手だから都築を使え、都築は飛び出しの判断が悪いから山岸を使え、そういうような主張をする人たちです。
- 監督が悪い派
- システム派と被るところもありますが、名前重視の起用をしすぎる、ベンチ入り選手の選定がおかしい、システムを重視していない(決まり事が少なすぎる)というようなことを問題視する人たちです。
彼らは恐らく普段からそう思っているのですが、負け始めると途端に声が大きくなります。かつては99年の不調時に当時の原監督の解任を主張したりもしました。
彼らはいろんなことを言っていますが、共通するのは外に「責任」を求めていることです。
負けたのはなぜ? 気持ちよくないのはなぜ? 悔しいのはなぜ? こんなに「応援してやった」のに。チケット代や交通費をかけたのに。誰が悪いの? 誰か責任取れ! 謝罪して賠償しろ!(とは言ってないか)
というわけです。
そこには問題を自分のところに置いておきたくない心理があるのです。
自分は悪くないのにと思うことからなのです。
いやきっと実際に誰かが悪いのでしょう。「観客」一人一人ができることなんて限られています。
しかしそれでも、いい大人になったらそんなことを人のせいにはしません。
いや、人のせいにする大人は少なくないですけどね。でもそういうのは「見苦しい」です。
こういう人たちは、スタジアムで「野次」を飛ばしている人たちとイメージが被ります。
我慢の利かない、年だけ食ったお子様というわけです。
私にしても、スタジアムを離れた後でも、審判を口を極めて非難し、相手チームを貶めています。他人のことが言えた義理ではありません。
サッカーというスポーツを純粋に分析する人もいます。彼らと文句を言っている人の差は、そこに体験や正確な知識に基づく自分の見解があるかどうか、そして他人の意見を受け入れられるかどうかということにかかっています。
私もどうも、文句を言っている人の方により近いようですが、考えてみませんか?
自分自身の胸に手を当てて、自分が文句だけ言ってないかどうか。
味方の選手やクラブを貶していないかどうか。
そうした行為にサポである、ファンであるといった立場を、「愛しているから」といった心情を理由にしてないか。
私は、「応援する」と言うのは、それがどんなものでも代償を求めるものではないと思っています。(だから応援するから勝てというのはちょっと違います)
それはもっと精神的で、一方的なものであるべきです(という偏見を持っています。でも「感動をありがとう」とかのフレーズは嫌いです)。
ならばサポーターは金を払って時間をつぶして何をしているのか?
それは悪く言えば自己満足のためです。言い方を変えれば応援することが楽しいのです。そうであるべきです。
チームを追っかけていって応援して、「応援しているのが偉い・凄い」というのは本来おかしいことなのです。こちらが自分の好きでお金を使って時間をかけて、それで迷惑がかかる人、例えば家族とかに謝る必要こそあれ、応援したから誉められるなんて理屈から言えばおかしいんです。
だから自分が払った犠牲の鬱憤を外にぶつけるのは止めませんか?
その代わり応援を、観戦を楽しみましょうよ。
理屈をこねるときは、自分がネガティブになってないか、それが何か別のことを主張するための理屈のための理屈になってないか考えましょう。
何でかって、その方が楽しいですよ。あなたもあなたの周りの人も。
いや、他人の気持ちを慮って「楽しい」なんていうのは傲慢だな。
あくまでもそうしてもらえば私が「楽しい・気持ちいい」ってことで。