前にデマゴーグを煽動するマスコミというエントリーを上げたことがあります。
松尾武・元NHK放送総局長の会見での発言要旨は次の通り。
【番組改編問題】最終編成責任者として、偏りのない内容を確認するために最善を尽くした。政治的圧力や政治的介入があったとは全く思っていない。
【朝日新聞の取材・報道】取材は9日昼すぎに自宅で受けた。私の発言に即した体裁だが、事実と全く逆。記者から何回もしつこく「圧力を感じさせたんでしょう」と聞かれ、その都度「感じていません」と答えたのに、全く逆になっており極めて遺憾。故意に意図を変えて書かれた。記者が私の発言の趣旨が分からないわけがありません。姑息(こそく)でひきょうな記事だ。
【取材した記者】まず結論ありきで、取材のルールに違反している。記憶があいまいな中で、誠実に答えたことが誤報につながり極めて遺憾で残念。訂正と謝罪を求めたい。
【記者会見した理由】取材を受けたのは事実。朝日新聞の18日付朝刊の特集記事を見て「NHK幹部」は私のことだと思った。同日、朝日の記者に「私の言ったことか」と確認したら「そうだ」と認めた。
【告発した長井暁チーフプロデューサー】うわさや伝聞で告発したことは誠に残念。憶測で物を言うジャーナリストとは何なのか、私は許せません。(共同)
この問題の内容についてはとりあえず置いておいたとして、なぜこうしたマスコミの人は取材を行うのでしょうか?
報道する内容が先にあって、その内容に合うように取材対象と話をした内容を「取材」と称するわけです。
ただ自分の主張したいことを書きたいのならば、取材を行う必要などないではないですか。
時には内容を捏造したりするわけですし(もっともそれではいわゆる「マスコミ」ではありませんが)。
つまり、上記のエントリーとあわせると、中日新聞社は「三菱自動車工業株式会社を(真実でなくてもいいから)叩きたい」、我らがレッズのパートナー企業である朝日新聞社は「NHKや自民党の安倍幹事長代理、中川経済産業相を(真実でなくてもいいから)叩きたい」というのが主張したいことというべきでしょうか。
私自身、仕事で使う資料を作るときは、問題のあるところは目を瞑って、必要な、アピールしたいところを膨らませます。
しかし、事実に反することは書きません。
必要ならば不利なことを敢えて書いて、アピールしたい点をより強調して見せたりはしますが。
その辺は社会人としては最低限折り合いをつけなければいけないことだと思うのですが、上記のような「マスコミ」に勤務する社会人の方は基準が異なるのでしょうか?
知らない人は新聞やテレビで報道されれば真実だと思ってしまう場合があります。
新聞社やテレビ局(あるいはラジオ局やらなにやら)は取材元の秘匿やら、個人情報の取り扱いやら、その業務に必要だということで優遇されていることがあります。
しかし、それを濫用して、あたかもそれが自らに与えられた権力の一つだと思っているかのような存在も少なくないようです。
まぁ全部が全部そうではないでしょうが、どうなんですかね?こういうの。
コメント (2)
どうなんですかね。
私なんかもこういう記事書きたいけど、裏付けないから取材に行くべ~(笑)みたいなことは普通にあるわけですけど、これはこれでありだと思うんですよ。
問題はこっちの意図とは全然違うネタが出てきたり、聞きたい話が聞けないってのはよくあるんで(笑)、そのときにどうするか、ということなのかと。
昔、スポナビで書いたときにそういうことがありまして、その時はぜんぜん当初予定とは違う過程・結論の記事を書きました(笑)。後に聞いた話が予想外に面白かったので切り替えたっていうポジティブな感じでしたけど、聞きたい話が聞けなくて途方に暮れちゃう人もいるんでしょうね。サッカーの試合記事だと見たものを書けばいいんでしょうが、政治だと見えないものも書かねばなりませんからね。締め切りの厳しい新聞だと、とっさにやっちゃう人もいるんでしょう。それを後から突っつかれる方がよほどダメージがでかいんですけどね(笑)。ある種の焦りから想像力が麻痺してしまうのかもしれません。自分の言いたいことが先に立つ人ってのが面白い記事を書く傾向はあると思うんですよ。自分の意見がしっかりしているということですから。ただ、自分の意見が事実よりも先に立つと……。単純な勘違いや間違いとかは人間の仕事なんで限界もあるかと思いますが、意図的な嘘や捏造は…。
まあ、この朝日新聞の件は誰の言うことも鵜呑みにはできませんけどね。
投稿者: ばた | 2005年01月21日 18:08
日時: 2005年01月21日 18:08
そうですね。
まずは「こういう記事書きたい」っていう時点で、それがあんまり相手とずれていて、しかも話を聞いてもずれていることが理解できないようだと、取材者と取材対象が同じ言葉で話していても、実はお互いの理解していることが違ってたなんてこともあるのかもしれませんね。
相手っていうか世間の常識に合わせすぎてもつまらないものになるんでしょうけど。
そういった「ズレ」はある種の個性なんですけどね。
ただ、コラムや小説でなく、ものが新聞記事っていうことになったときに、どこまで創作性を発揮することが許されるのかっていうこともあるでしょうし。
それと目いっぱい創作性を発揮した記事を、あたかも一般的な支持を受けているかのごとくに装って読者を誘導しようというのは、これはマスコミという範囲から逸脱している気もします。
もっともそれが結果としてよい結果に結びつくと思う立場の人は黙っているし、悪い結果になると思う立場の人は抗議するという…。
サッカーの記事でも同じことが言えるかもしれませんが、「こうあるべきだ」と信念を持って書いたことが、受け入れられれば名記事ってことになりますが、受け入れられなければトンデモってことになるのかも知れません。
ならば問われるべきは筆者の信念、正義感なのかも知れませんね。
例えば、「レッズが、あるいはレッズの選手が強くなって欲しい」っていう意図を持って書かれた記事は、多少誤謬があっても文句を言うレッズサポはいないでしょう。
ただそれはレッズサポ以外には受け入れられないかも知れません。
つまりTPOを考えろってことですかね。
全国紙みたいに読者が多くなるような環境では、そういう意味ではある程度表現や題材に妥協が求められるのかもしれません。特に「ズレ」の大きな人は。
あるいは非難する人も黙らせるほど大きく「ズレ」るか。
まぁ、社会人として仕事でやっている以上は自ずと限度があるでしょうが(クビになりますからね・笑)。
このエントリー自体は、朝日新聞の取材を受けたという松尾元編集局長の記者会見をテレビで見て、「おかしいな」と思ったから立てたものです。
まぁただ否定された朝日新聞のほうも、(何も新味はないけど)再反論していますから、一応まだ係争中っていうところですか。
投稿者: ShibireKulage | 2005年01月21日 21:32
日時: 2005年01月21日 21:32