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千島徹への期待

現在レッズに所属する下部組織出身選手の中では最古参(レッズに所属していない選手としてはアルビレックス新潟所属の鈴木慎吾選手が最年長)となった千島選手(実のところ下部組織上がりで同じチームでプレーしつづけている選手というカテゴリでもそこそこ古い部類に入ります)。
U-18、U-19、U-20、U-21などの各年代の代表として活躍した彼もはや24歳、2000年に入団して今年で6年目を迎えます。
そんな千島選手に今年ブレイクの予感があるのです。

ユース出身の選手には、「緊張感のなさ」のようなものが付きまとうといいます。
長い子なら中学進学時から「レッズ」の名前を背負って6年間、18で物心ついてからの人生の半分くらいは「レッズ」にいる状態で卒業、昇格してもまわりのスタッフや環境が変わらないまま、本人は意識しないうちに「プロ」という異世界に立ち入ってしまうからです(これはなにもレッズだけの問題ではありませんが)。
もちろん全員がそうではありませんが、最後まで意識しないでいるうちに1年後に「契約を更新しない」と言われて愕然とする例も少なくはありません。

彼もまた、ずいぶんと回り道をしてきました。
彼がレッズジュニアユースの前身ともいうべき浦和スポーツクラブ(このチーム自体は現存します)の門を叩いたのは94年、横山監督の下、ブッフバルト、バイン両選手がアメリカW杯のあと来日した年です。
実際には入団する前(入団先を決める前)93年の森監督の2年目を見て入団しているわけですから、彼の「レッズ・ライフ」はほぼ浦和レッズの歴史に重なります(それはいまや12年に及ぶわけですから、正しく彼の半生はレッズに浸かっています)。

彼が浦和スポーツクラブに入団したとき当時、レッズで選手生活を引退したばかりのセルヒオ・エスクデロコーチが指導をしていました。
彼のアルゼンチン好きはエスクデロコーチの影響を受けているそうです。
当時練習場で遊んでいたコーチの息子セルヒートくん(5歳)が今ではレッズユースに加入して活躍しているわけですから、月日の流れるのは早いものです(いや、この頃は知らないんですが)。

中2のとき高円宮杯で全国優勝、中3で浦和スポーツクラブから辻谷監督率いる浦和レッズジュニアユースへ移行してトップチームと同じデザインのユニフォームを着て喜び、高1でユースに上がると吉田靖監督の下、全日本クラブユース選手権に1年生にしてレギュラーで出場(当時はまだレッズユースでは1年生でレギュラーというのは珍しかったそうです)、決勝で曽ヶ端選手、野沢選手などを擁する鹿島アントラーズユースを破って初優勝、高2時は同じく吉田監督の下で天皇杯の県予選で決勝まで進出(NTT関東~現大宮アルディージャに敗退)、国体の県選抜やナショナルトレセンにも選ばれ、高3時は坂庭監督の元で日本クラブユース選手権で全国5位に入っています。

彼やレッズ退団後レッズアマでプレイしているという岩本選手、今年東京学芸大を卒業する山下選手、大学を卒業して去年JFLのチームに入団した桶田選手(HONDA FC)、榎本選手(東京佐川SC)、原島選手(横河武蔵野FC)らが卒業後、レッズユースに低学年の選手でも起用するという最初の改革を行わせるほどの存在感はあったわけです。

98年まで西村監督(前パープルサンガ監督)率いる最終的には'2001アルゼンチンワールドユースを目指すU-17ナショナルトレセン、U-18日本代表でもほぼ常連といっていい存在でした。

しかし、この99年1月に行われたジャパンユースカップでは西村監督(前パープルサンガ監督)に呼ばれはするも、あまり使われなかったあたりから少し様子が変わってきます。
後に自ら語っている「サッカーに興味が薄れた時期」はこの前後だったのでしょうか?

トップチーム昇格後の2000年にアジアユース一次予選を戦うU-19日本代表に選ばれたのを最後に、このワールドユースを目指す81年以後生まれ組のU-20日本代表には呼ばれなくなります。

歩調を合わせるように、2000年のトップチーム昇格時はJ2を戦う斉藤監督。翌01年はJ1ですがレギュラーと控えメンバーとの間に大きな壁を作るチッタ監督。
ともにチーム側の事情もあり、なかなかチャンスを与えられることはありませんでした。
もっとも、「素質だけならレギュラー」と言われた彼の側にも問題があったことは間違いありません。

どうやらきっかけとなったらしいのは01年末にU-20アテネ五輪代表候補の第一次合宿(小野~現広島監督)に選ばれたこと、翌02年のツーロン国際ユースを戦うU-21日本代表(小野ヘッドコーチ)に選ばれ、試合に先発で出場(南アフリカ戦)できたことでしょうか(まぁ井川祐輔選手~グランパス?~が負傷で不参加だったための追加召集なんですが)。

帰国後オフト監督によってアウェーのジュビロ戦で途中起用され、ジュビロDF鈴木を倒してMF福西に詰め寄られても平然としているという鮮烈な?リーグ公式戦デビューを飾ったことは皆さんの印象にも残っていることでしょう。
このプレーで彼のことをがむしゃらな、ラフプレーも恐れない積極的な選手と思っている人も多そうですが、実際のところは彼も試合後に語っている通り「どこまでやったら警告が出るか試した」のが事実であり、彼自身によれば飄々と他人のことはどこ吹く風というタイプのプレイヤーなのだそうです(というようなことをどこかで聞いた覚えがあります)。

ユース時代もトーナメント戦の途中で敗れたときに、チームメイトが泣き崩れる中、彼だけはさっさと帰り支度をしていたという逸話もあるとか。
独特な髪型や、飾りの紐を結んだり、襟を立てたり雑誌に連載をしたりということで注目されたりもしています。

そんな彼ですが、オフト監督の2年目である03年には、ナビスコ予選でFC東京相手に貴重な同点ゴール(プロ入り初ゴール)を上げる活躍をしたこともあってか、昨年は期するものもあったようです。
新監督を迎え、さらにアテネ五輪にもいくらかチャンスは残っていた(実際にはほとんどなかったけれど)からです。

結果としては残念ながら、調子が上がってきたところで怪我をするということを繰り返してしまい、同期の啓太はおろか、長谷部、新人の横山にも結果という面では遅れをとった感があります。
が、シーズンの後半戦では必ず遠征メンバーの15~16人目に入るようになっており、ほぼリハビリを終えた段階でオフを迎えられたことで、新しいシーズンはいいスタートが切れそうです。

昨年試合の途中から出場したときは、どうにも周りが見えていない、動き方が整理できていない印象がありましたが、これは本人が回りのプレーを理解できていない、周りも彼のプレーを理解できていないことから来るものです。
うまくシーズンに入れて、時間をかければ解決できる問題でしょう。

彼が下部組織からの生え抜きだからとか、「レッズユースの期待の星」だからだとか、そんなこととは関係なく、千島徹という一個の才能が開花する瞬間が近づいている、これが賭け事ならばちょっとその目が狙い目かも、そんな予感がしているのです。

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