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システム論で語るサッカー?

世間で「電波ライター」としてその名を知られている馳星周氏が11月25日のスポニチにコラムを書いたそうです。

43 :U-名無しさん :sage :04/11/25 21:31:33 ID:2WziwhXf
浦和の優勝はめでたい。
レッズのファンというわけではないのだが、
なんとなくJリーグの歴史と彼らの歴史が重なって、感慨深いものがこみ上げてくる。
Jのお荷物と呼ばれ、金はあるのに強くなれず、ただサポーターの熱い思いだけが空回りしていたチームがやっと優勝したのだからなあ。
遅すぎるが、しかし、何も勝ち得ないよりはよっぽどましだ。
というわけで、わたしもレッズの優勝にひとり祝杯をあげたのだが、
ひとつだけ、強い違和感を覚えていることも事実だ。
レッズ優勝の翌日の某スポーツ新聞の見出しにあった「超攻撃的サッカー」の文字が違和感の原因だ。
その新聞に限らず、世間では浦和のサッカーは「超攻撃的」と捉えられているらしい。
しかし、わたしはそれには否定的だ。レッズのサッカーは守備が基本のサッカーだと見ているから。
3-4-3という戦術だけを見れば、なるほど攻撃的に思えるかもしれないが、中盤の4人のうちの2枚がボランチということなら話は変わる。
守備が基本の戦術だ。
相手に押し込まれ、両サイドが引いたら、デフェンダーが7人いることになる。
トルシエがやっていたサッカーとなんら変わらない。
そのいい例がF東京とのナビスコ決勝だろう。
4231のモダンな攻撃的サッカーでサイドを執拗に攻めてくるF東京に対してレッズの両翼は引かざるを得ず、前線と守備のラインの間があいて効果的な攻撃はほとんどできなかった。
あれで「超攻撃的」とは笑わせる。F東京の方がよほど攻撃を指向している。
それなのにレッズが超攻撃的だというイメージは、要するに前線の3人の攻撃力が桁外れだということに起因する。
3人で簡単に点が取れるから、縦への突破が目につき、肝心のサイド攻撃はお粗末になる。
ああ、どこかで見たようなサッカーだなと思えば、これはイタリアのサッカーと同じなのだ。
守備に戦力の大半を割き、攻撃はタレントに溢れた前線の選手だけに任せる。
イタリアのサッカーがどれだけ点を取ろうが絶対に攻撃的でないのと同じで、レッズのサッカーも攻撃的では決してない。
それを「超攻撃的」と評してしまう日本サッカー界の現状に、わたしは嫌なものを感じてしまったのだろう。
別に守備的だからレッズの優勝を否定するというわけではない。あしからず。

昨今、こうしたDFが何人、MFが何人、FWが何人と言うような「数字」でサッカーを語る人が多くなっているようです。
3バックは守備的で、4バックは攻撃的だとか、そんなやつです。

このコラムを書いている馳氏は、本職は小説家だそうです(残念ながら私は氏の作品を読んだことがないので知りません)が、日本のマスコミ界では、本人が著名でさえあれば、この程度の文章で原稿料を貰うことができるようです。

当初に上げた「電波ライター」とは、「一般的定義として、「取材を元にした記事を書かず、第三者からの伝聞や自分の脳内で完結した結論を、自分の好き嫌いやその場の感情をそのままに悪意、捏造、妄想、邪推(wなどを盛り込んで記事を書く」ライターのことを指す言葉。(Demper Web電波ライタースレッド用語辞典から)」という意味の言葉だそうなのですが、その通り氏は試合を見ないで作文をされたようです。ナビスコカップの決勝をご覧になった方にはお解かりになられますよね?

数字とかフォーメーションというのは、共通理解を得る上で便利な道具です。
例えば、4-4-2の中盤ダイヤモンドで、DFが右から…と言っていけば、どんな風に選手が並んでいるのかぱっと理解できます。
実際に試合を見るときにも、このチームは3-5-2だから、DFはこの3人で、と見ていけば、理解が早いです。
4-4-2でサイドに張り出した選手と、3-5-2で同じ位置でプレーしている選手では、どういうことをやらなくてはいけなくて、どういうことができていないのか、ということについてのセオリーがわかっていれば、選手が、あるいは監督が、なにを意図しているのかなんてことも想像ができます。

しかし、現実には選手は与えられたポジションの枠の中でだけプレーしているわけではなく、自分の能力とプレースタイルの中で、必要とされるタスクをこなし、その上で自己のプレーを実現する中でチームに貢献しようとしているわけです。
しかしそういうことはゲームを見なければわかりません。

上のコラムの中では、2人のボランチがいるから守備的だと論じていますが、実際のところボランチのポジションを与えられた2人の選手(この場合啓太と長谷部)は、ボランチロボットとして処理をしているわけではなく、ボランチのポジションで様々なことを判断しながら、「プレー」をしているわけです。
実際のところ、トップ下に入った暢久と3人で、互いに入れ替わったり、サイドに流れてクロスを上げたりしているわけで、同じポジションにずっといるわけではありませんし。

私の場合は、そのチームが守備的なのか攻撃的なのか(これもまた単純すぎる区分けですが)というのは、起用されている選手で判断しますが、馳氏はそうではなく、フォーメーションで判断されているようです。私もプレー経験は学生時代の草レベルでしかありませんから、偉そうなことは言えませんが、どうやらここで言う攻撃的・守備的という言葉は、同じ文字ですが、異なった意味を示しているようです。

日本のスポーツマスコミ界はその質が問題視されることがあります。
私が正しいとは思いませんが、せめてサッカーを語るときは、自分が見たものについて語るようにしたいと思うところです。

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コメント (2)

aaa:

いや、彼の書いていることは全うだと思うよ。
東京は少なくとも後半途中までは押し込んでいた。イタリア的と言うのも納得できるよ。

そうですか。
まぁ人それぞれですからね。

私は「ボランチが2枚」だから守備的でイタリア的だっていう論理が納得できないだけですから。
ボランチがどういうプレーをしたから(しかできないから)守備的だとか言うならば、話の発展のしようもありますが、「ボランチが2枚だから」じゃ試合を見たりする必要ないですよね。

まぁ別に小説家のセンセイが趣味でなにを書き散らそうが気にしなきゃ良いんでしょうけどね。

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