先日の大分戦でほとんどの段幕やコールが「なかったこと」についてはあちこちでいろんな人が語り、書いていますが、そこでただひとつだけ掲げられた段幕については私の知る限り、語る人はいないようです。
そこでそのことについて考えてみます。
掲げられた段幕は「THE PRIDE OF URAWA」。
この段幕は普段は常にゴール裏に掲げられています。
しかし、この日は選手入場と、試合後の挨拶の時だけ、サポーターの手によって掲げられました。
これは明確に、選手に伝えるメッセージといえるでしょう。
応援せずに、そうした段幕を掲げた行動、それはただ曖昧にサポーターと選手の間にある気持ちの溝に対する抗議の行動などと解釈されたりもします。
しかし、果たしてそこに込められた想いはなんなのでしょうか?
レッズのサポーターにとって、レッズに対する「誇り」というものは(もちろん十人十色でしょうが、ある程度共通的なものとして)、相対的なものではなく、絶対的なものです。
つまり、○○に勝ったから、とか、いくつタイトルがあるからとか、日本一になったからとか、そういう、他のチームなどと比較して得られるものではありません(もちろん成績やタイトルを薬にしたくともできないという事情はありますが)。
そこに浦和レッズというチームがある、そのこと自体が誇りなのです。
だから原則として、レッズに対する感情というのは他者の(例えば他のチームなどの)影響を受けません。どこが優勝しようが、どこに人気選手が入団しようが、レッズはレッズ、まったく関係ないという態度をとるわけです。
しかし、周囲の状況にまったく朴念仁でいられないこともあります。
それは、レッズが、というよりもそのホームタウンである浦和に基づくものです。
「我らが街に凱歌は響き」という本にこんな一節があります。
場面は初の首都圏開催となる1977年の高校選手権決勝、前年まで選手権を連覇し、三連覇を間近に控えた浦和南高校と新鋭、静岡学園高校の対戦。
結果は5-4で浦和南高校が勝ち、史上初の三連覇を達成したわけですが、3点を先制しながら4点までを取られ、追い込まれた展開に著者の豊田充穂氏の父親が言います。
「みっともないね、ああいう試合は」
偉業を達成してもなお、内容によって辛口の評価をする。
これは別にこの父親氏が特別なわけではなく、当時の普通の浦和のサッカー好きにとって一般的な感想だったのでしょう。
そこに見られる強烈なプライド、これがレッズに受け継がれ、あるいは受け継ごうとしているものなのではないでしょうか。
ただ単に応援対象が強いことではなく、「強くなければならないと皆が当然のように思っている」こと、あるいはそういう環境にあること、それが多分 PRIDE OF URAWA です。
そこにはサッカー王国としてしのぎを削ってきた静岡との関係が色濃く影を落としています。
静岡との対決を制して、王者として君臨する。
同じプライドを持つものを蹴落として、初めて本当の意味で覇を唱えることが出来る。
そのような文脈において、浦和の、埼玉のチームは静岡には負けてはならないのです。
そのような想いがどのくらいレッズのサポーターに受け継がれているのかはわかりません。
ゴール裏にも、浦和出身でない者、浦和在住でない者はたくさんいるでしょう。
しかし、そうした想いは、浦和とはまったくつながりのない三菱がこの地に居を構え、そのために「浦和レッズの幸福」で著者の大住良之氏がレッズと浦和の関係を「純愛」と喩えたように、浦和につながりのないサポータには、むしろより純粋な形で受け継がれるのではないかという気もします。
前置きが長くなりましたが、だからこそ、2点を先制した後、4点を奪われるといった無様な試合の中でも、かつてあったようには応援をやめることなく、次節に復仇の機会を控えた大分戦では応援をしない、という非常手段で活を入れることになったのだと思うと合点がいきます。
で、あれば、おそらく次の清水戦では前節の我慢の分も晴らすような猛烈な応援をすることになるのではないでしょうか。
そしてその時、「PRIDE OF URAWA」が輝くのです。