「勝たなくてはならない」と称されていた。

例えばこんな感じ(ただし以下は「檄文」的な意味合いを持たせるために、敢えて客観性を排除しているのかも知れず、例として挙げるのには不適当かも知れない)。

 では明日のオーストラリア戦は、どのあたりに注目すべきなのだろうか。さまざまな見方があるだろうが、私としては日豪両国の「サッカー国力」に注目してみたいと思う。

「サッカー国力」とは何か。それは、その国のサッカーが「何によって支えられているか」ということである。日本の場合は、言うまでもなくJリーグだ。明日の試合は、これまでなかなか出番がなかった選手にチャンスが与えられることになるが、その彼らとて、Jリーグでは押しも押されもせぬ一線級のプレーヤーばかりである。一方のオーストラリアはどうか。確かに数多くのタレントを輩出しているものの、ヨーロッパへの流出が必然となって久しいのも事実。「欧州組」といえば聞こえはいいが、要するに彼らを満足させるだけのインフラが、国内に整備されていなかったことの証左とも言えよう。


 私が「日本は負けてはいけない」と断じた理由は、まさにそこにある。確かに個々の能力では(特に高さや強さにおいて)、相手にアドバンテージがあるのは間違いない。それでも、単純に国内リーグの質と器(うつわ)においては、日本にもかなりの分があるはずだ。その一点に限っては、日本がアジアで負けるわけがない。そんなわけで、明日の日豪対決は「サッカー国力」の総力戦という観点から、大いに楽しむことにしたい。


しかしながら、2006年6月12日2006 FIFAワールドカップ予選グループFの第1戦でも日本は先制しながら逆転で敗れ、そして今日、またもや逆転負けを喫した。

なるほど確かに日本のJリーグの運営基盤はオーストラリアの「A-League」に勝っているかもしれない。
AFCチャンピオンズリーグ2007では、浦和レッズはシドニーFCを直接対決では2戦2分けながらグループリーグで下し、AFCチャンピオンズリーグ2008では、ガンバ大阪はグループリーグでメルボルン・ビクトリーを2戦2勝で下した上、決勝でもアデレート・ユナイテッドを2戦合計5-0と叩き潰して優勝を飾っている。
まだ開催中であるAFCチャンピオンズリーグ2009でも、名古屋グランパスがグループリーグでニューカッスル・ジェッツを1勝1分で下し、川崎フロンターレもセントラルコースト・マリナーズを2戦2勝で下し、いずれも決勝トーナメントへ進出している。

財政基盤や、観客動員でも日本の方が上だろう。
例えば2008-2009シーズンのAリーグの開幕節のデータ

2008A-League Round 01 Results(2008年8月15~17日)
組み合わせ 観客動員数 スタジアム
収容人数
ホーム アウェイ
ニューカッスル・ジェッツ セントラルコースト・マリナーズ 16,022 32,000
シドニーFC メルボルン・ビクトリー 16,277 45,500
ウェリントン・フェニックス クィーンズランド・ロアー 10,516 34,500
アデレート・ユナイテッド パース・グローリー 10,510 16,500


Jリーグの場合、今季の開幕節はもっとも多いのがカシマサッカースタジアムで行われた鹿島アントラーズ対浦和レッズで37,878人、少ないのはヤマハスタジアムで行われたジュビロ磐田対モンテディオ山形で12,141だが、A-Leagueで最も多い16,277人(シドニーFC対メルボルン・ビクトリー)より少ない会場はこのヤマハスタジアムと、Nack5大宮スタジアムの大宮アルディージャ対清水エスパルスの14,039人の2つしかない。

しかし考えなければならないのは、オーストラリアの総人口(2008年)がわずか2,130万人に過ぎないことだ。日本の総人口(2008年)が1億2,720万人とオーストラリアの約6倍であることを考えれば、日本の方が最低6倍は強くなければならないし、6倍はお客が入ってもおかしくないということだ。

また、さきに引用したスポーツナビのコラムにはこうある。

 だが、そうした国民的な盛り上がりが、そのままサッカーにも当てはまるかといえば、それはまた別問題であろう。実際、MCGのスタンドからピッチを見渡してみて、私は少なからずの失望を覚えずにはいられなかった。何という、絶望的なまでの距離感! ゴール裏のスタンドからは、手前の看板がはるか彼方にかすんで見えるではないか。もっと高い位置のスタンドからであれば、ちょっとした「カンプ・ノウ気分」は味わえるかもしれないが、それにしてもグラウンドの広さとコートとの比率が尋常でなくアンバランスである。スタンドの観客はピッチ上での臨場感など、およそ望むべくもないだろう。

 結局のところ、サッカーのビッグイベントを開催するにあたって、クリケットの競技施設でお茶を濁してしまうところに、この国におけるサッカー界の限界を見る思いがする。はっきり言おう。いくら「消化試合」とはいえ、そんな国に日本は負けてはいけない。

しかしながら、インフラ面では日本もオーストラリアのことはあまり言えない。なぜなら、国際試合を国立競技場で行うにせよ、あるいは日産スタジアム(横浜国際競技場)で行うにせよ、長居スタジアムで行うにせよ、それらは全て陸上競技場であるからだ。
陸上競技場とは言っても、それはサッカースタジアムを兼ねた複合施設なのであり、巨大なクリケット競技場よりも臨場感があり、より"マシ"であるという意見もあるだろう。もっともだが、しかしサッカー専用スタジアムではないということもまた間違いない。
サッカーしかできないスタジアムにするほどの投資を日本も行えていないということでは、オーストラリアと立場は変わらないのだ。

また、上の表の収容人数の欄を見てほしい。ニューカッスル・ジェッツのエネルギーオーストラリアスタジアムは32,000人、シドニーFCのシドニーフットボールスタジアムは45,500人、ウェリントン・フェニックスのウェストパックスタジアムは34,500人。このクラスのスタジアムが日本に果たしていくつあるのか。

これらのことを勘案し、また「ここ一番」の試合で日本がオーストラリアに勝てないということを考え合わせれば、やはり日本は、サッカーにおいてオーストラリアにまだまだ及ばないのだ。
オーストラリアの人口は、埼玉県と東京都を合わせた程度(約2,014万人)でしかないのだから。

近代DFに要求される能力とは

近代的なサッカーの中では、ポジションごとのプレースタイルの差異が小さくなっている。どんな選手も、走って、ポジションを変え、空いたスペース・ポジションをカバーしなければならないからである(もちろんそうした均質化の中で、特徴を持って、その特徴を表現しきれる選手は、その貴重さを増しているとも思うけれど、それはまた別の話)。
そんな中で、守備的MFはもちろんのこと、最終ラインのDFであってさえ、ボールを扱って不安がなく、ショートパス・ロングパスを蹴れる能力が求められている。
そうしたDFは、相手の前線のプレッシャーに晒されるために、それをいなすことができる程度のレベルのキープ力(というよりはむしろ、寄せられて慌てない、自信といったようなメンタル面か)が必要とされるし、あるいはプレッシャーに晒されないのならば、余裕のあるポジションでパスを繰り出してゲームを作るということも要求される。
そして、『蹴れる』DFというのは数少ない。もちろん『蹴れる』大型選手ならばそれなりにいる。しかし、『蹴れる』うえに、きちんと守れる大型選手と言ってしまえば難易度は極端に上がる。
恐らく、そうした特性を持つ、ある程度以上のレベルの選手は、現代サッカーにおいて宝石のように貴重な存在だと言えるだろう。

実例としての闘莉王と坪井

例えば田中マルクス闘莉王。彼はとても安定したボール扱いができる選手である。セットプレーにおける空中戦能力や、不利な試合展開の際のパワープレー要員として注目されるが、彼は長いボールを蹴る能力を持っている。そうした能力が、彼を代表選手たらしめている要素だと思われる。
一方でコンビを組む坪井慶介。かつての一時期、パフォーマンスを落とした時期があったが、最近はかつての安定さを取り戻している。恐らくは、ボールを持った相手との1対1の状況でボールを奪取する能力といったものにかけては、彼は日本でもトップクラスの力を持っていると言えるのではないだろうか。一方で、一旦ボールを奪った後の彼は、「早くボールを離せ」とサポーターに思われるような存在である。昨今はボールを持って攻め上がったりしてサポーターのどよめきを生んだりしているが、基本的に彼のボールキープ力、パス精度といったものは、彼の持っているディフェンス能力のレベルから見ればアンバランスなものである。
この2人は対照的な能力を持っている存在だと言えるだろう。と言うと、では闘莉王は『蹴れる』だけで、ディフェンス能力がないのかということになるが、実際のところ私は、闘莉王のディフェンス能力は、彼自身の他の能力と比較すればそれほど高いとは言えないのではないかと思っている。なぜなら、彼自身がおそらく自分にスピードがないことを自覚していることもあるのかも知れないが、彼がディフェンスラインに入る際には、ディフェンスラインを低くしてしまう傾向があると思われるからだ。つまり、闘莉王は守るために相手の選択肢を少なくする必要がある。つまりディフェンスラインを下げて、相手に裏を突かれないようにする必要があるので、低いポジションを取りたがるのだ。そうして相手の選択肢を少なくしておいて、恵まれた体格、長い脚を使ってボールを絡め取る、そういう守り方を得意としているように思える。
相手を自分の土俵に上げて勝負するわけで、自分が相手の土俵に上がって勝負する坪井の守り方とはやはり違いがあるように思われる。
どちらが上かということは一概には言えない(実戦の中で、例えばハイボール相手なら明らかに闘莉王の方が上だ)のだが、坪井の方がディフェンスではいくらか安定しているように思える。

2つのタイプ

なぜだろうと考えていた私に某氏が教えてくれたのがこういったことだ。

>ある程度の「サイズ」がある上でゲームを作れるレベルの技巧がある >日本人選手というもの自体が数少ないのかも知れません。

いなくはないと思います。
例えば大津の谷口彰悟。
鞠ユースの熊谷アンドリュー。
中央大の村田翔。
身長を抜きにしても卓越したゲームメイカーです。
ただいずれもスピード、守備力がないですね。
どの選手も背筋が伸びて腰が高いタイプです。
対人動作は腰を落とせる選手が有利です。
要求される身体的特性が別なんだと思います。


これを見て納得できた。つまり、人間の構造的に、『守れる』選手は蹴れず、『蹴れる』選手は守れないのだ。
『蹴る』ために背筋を伸ばし、顔を上げて視野を広くする動作は、腰の位置を高くし、相手のフェイントに対応するための瞬間的な反応能力を低下させてしまう。逆に『守る』ために腰を落とすことは、足元のボールに集中し、奪うことには役に立つが、奪った後に蹴る先を見えなくしてしまう。
そうしたプレーを何年も続けていくうちに、『蹴れる』選手は『蹴る』能力を伸ばしていき、『守れる』選手は『守る』能力を伸ばしていく。

例えば、堤 俊輔は『蹴れる』DFだが、DFとしてみた場合、絶対的な守備能力としては若干軽い印象はある(ほとんど最初の出番に近い2007年のナビスコカップでの印象だからやや酷だが)。
比べる対象が難しいが、南 祐三は『蹴る』能力では堤に及ばなかったが、おそらく一発のスライディングの鋭さなどでは堤よりも優れた点を持っていただろう(守備能力全体としてみるとまた別だが)。

結論

問題は、どちらかに極端に特化してしまうことは、プロ選手としての適性を弱めることになることだ。『蹴れる』だけで守備能力を持たないDFは、センターバックとしては無力である(ボランチとして生き残る道はあるが)。
一方で、『守れる』だけでパス能力を持たないDFは、現代サッカーでは重要なパーツとみなされない。ある程度のレベル以下ではやって行けるが、トップレベルで真に重要な選手にはなれない(守備も坪井ぐらいのレベルになってしまえばまた別だ)。
バランスが重要なのだ。どこまで蹴って、どこまで守るのか。守るために腰を落として、その状態で蹴ることができるレベルで妥協するか、逆に顔をある程度上げて、その体勢でできる守り方を身につけるか(実際のところ、守備はある程度経験値が上がれば何とかできる部分はあるように思える)。

そこへ行くと、レッズユースは堤を筆頭に、やや『蹴る』能力に偏っているようにも見える。
今こそしっかりと腰を落として、きちんと守ることを評価すべきなのではないだろうか。昨年の日本一になったチームにおいて、DFでキャプテンであった菅井順平の守備能力がどれだけチームを支えていたかを考える必要はあるのではないだろうか。

最終的に1-6となった試合を見て少し考えた。

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